とっても嬉しいご報告です!

 

昨日、以前家庭教師をさせていただいた生徒さんのお母様から久しぶりにメールが。

なんとそれは、「先生、ご報告が遅くなってしまいましたが、◯◯大学の医学部に合格し、今楽しい学生生活を送っています!」という、とっても嬉しいご報告のメールでした!

受験生の場合、大抵は志望校に合格した時点で家庭教師も「卒業」となる場合が多いのですが、卒業後もこうして報告をしてくださるのは、とっても嬉しいしとってもありがたい気持ちになります。

彼はきっとこれからも、自分らしさ全開で真っすぐ自分の道を進んでゆかれることと思います。

素晴らしいです。とってもワクワクします。

これからも、「その子がその子らしく、その子自身の道を歩んでゆく」お手伝い、してゆきたいと思います!

中学受験の難しさとは?

 

中学受験につき、分かっていない方があまりにも多いので、少し書いてゆきたいと思います。

「中学入試は、学力を伸ばしさえすれば合格できる。」と思っている方が結構いらっしゃいますが、それは不可能なことを目指していることになります。

どうしてか?

人間は、ロボットではありません。
感情もあれば思考もあるし、好不調もある。

大人もそうだし、ましてや子どもなら、なおさらです。

「勉強をやりなさい。」という親の言うことをずっと聞いていた子が、ある日突然、ムスッとした顔で(笑)、

「僕、勉強したくない。」と言い出したりする。

そこで親は、「え⁉︎どうしたの⁉︎勉強やるって言ったじゃない。言うことを聞きなさい。」

とゴリ押ししようとしたりする。

いやいや(笑)。

親の言うことを黙ってきいていた息子さん(娘さん)は、過去の人間です。

今、目の前にいるお子さんを見つめてみてください。

そうすれば、もう親の言うことを素直に聞くような時期は過ぎ去ってしまったことに気づくことでしょう。

そこで、親は焦り出します。

「どうしよう。入試は近づいてきたのに、これまでこんなに頑張ってきたのに、あの子は、もう勉強をやらないと言っている。どうしよう…」

大丈夫です。

実は、今息子さん(娘さん)は、合格に近づいているんです。

「いや、でも、勉強しないって言ってるから…」

だからこそ、です。

したくないことは、したくない。
それをハッキリと言えることは、自立への第一歩です。

「いや、でも、ちゃんと勉強して、ちゃんと親の言うことも聞いてくれないと…」

お母さん、あなたが不安になる。
そうおっしゃりたいのではないですか?

親の不安はどこまでも、くっついて来ます。
それは、成績が良い子でも、いや、成績が安定しているお子さんの親御さんほど、当てはまることです。

だから、まずはその不安を手放せるよう、ある事実を知ってください。

それは、
「受験前にちゃんと反抗期を迎えられたお子さんほど、ちゃんと中学入試で合格してゆける。」
という事実です。

親の言うことを聞いているだけではなく、自ら考えられる力。それこそが合格への原動力となります。

そこをすっ飛ばして、自ら考えることをせず、ただただ親の言うことだけを聞いて成績を伸ばすことしかして来なかった子は、入試直前に、大きな壁にぶち当たったりします。

何か正体不明の、どんよりした感じ。

それが合格を阻みます。最後の最後の踏ん張りがききません。自らの入試が持つ意味が、合格することの先が、見えてきません。

そしてそのまま、入試会場に向かうことになります。

そうではなくて、たとえ大変な思い・嫌な思い・辛い経験を、親子ともにいっぱいすることになったとしても、ちゃんと思いをぶつけ合う。お互いの感じていること・考えていることをちゃんと伝え合う。

そういうことをやって来たお子さんは、本番でものすごい力を発揮します。

大人が感動するぐらいの成長を見せてくれます。

そういう子は、指導しているとわかります。

「あぁ、変わったな。本気になったな。自立したな。もう大丈夫だな。」

そう思えた子は、間違いなく合格します。

だから、どうか「中学受験の難しさ。醍醐味」がどこにあるのか、ということをもう一度見つめ直してみてください。そうすれば、合格への道を一歩踏み出したことになります。

子どもをコントロールしようとする親

 

こんな方がいらっしゃったりします。

「うちの子、勉強しないので、うまくご褒美を与えて、何とか気持ちが勉強に向くように…」

このように思っていらっしゃる方は、自分自身が実は大きな代償を払っていることに気づいていません。

「◯◯をあげるから、◯◯をしなさい。」

人間は犬ではありません。
誰か他人の条件付けによって、自分以外の人間のコントロールによって何かをする、そんな風にはできていません。

親の言うことを子どもが聞くのだとしたら、そこには必ず理由があります。

「そうすることが、楽しいから。幸せにつながるから。成長できるから。」

いろんな理由があることでしょう。

その理由こそが行動を促す原動力であり、継続してゆくモティベーションとなってゆくはずです。

それさえあればいいはずなのに、なぜ、「ニンジン」をぶら下げる必要があるのでしょうか?

それは、子どもさんの本当の気持ちを確かめたとしたなら、親の期待が裏切られる、そう思っているからではないですか?

だから、肝心の部分からは目を背けさせ、ごまかしのニンジンをぶら下げる必要が出てくる。

子どもの人格を、子どもの人間性を無視し、大人の好きなようにコントロールしようとすれば、必ず後で大きなツケを払わされることになることでしょう。

それは、人間は人間だからです。

動物でもなければ、ロボットでもない。

いや、動物だって、ロボットだって、その存在には敬意を払うべきでしょう。

動物や植物、この地球に住む生命体にはそれぞれの存在意義があり、それぞれの「生きる理由」があります。

人間においてもそれは同様です。

個々人が生まれてきた意味。理由。存在価値。

そこの部分にしっかりと触れてゆけば、自ずと道は定まってきます。

我々大人にできることは、その道筋を見つける手伝いをしてあげること。

ちゃんと子どもたち自身の気持ちを確かめた上で、納得して進めてゆくこと。

そこで見えてくる世界は、ニンジンぶら下げ方式の世界とは、全く違うものになるはずです。

どちらを選択するか。

それは、私たち大人1人1人にかかっている。

私はそう信じています。