スペシャル無料講座「考える力をつける勉強法」― 幸せな大人になるためのゴールデンルート ― ⑦
5.考える力をつける勉強法。ゴールデンルートにいたる5つの出発点とは。
(1)学校
受験生こそ、学校の勉強をしろ!
これは私がよく受験生の生徒に対して言っていることです。
例えば、大学受験をする子の場合。現代文で国公立大学の入試問題、理由説明の問題などを解いているとき。「この問題はどうやって考えていったらいいか、説明してみて。」と言うと、大抵の子は小難しいことから順に説明しようとします。
ところが、その問題のポイント・考え方の出発点は、そんな小難しいところにはないんですね。そこで、「もっと簡単に考えてみて。基本に立ち返って。」とヒントを出してみます。それでも、やはり分からない。そこでさらに、「いちばん大事なことは、小学校の時に、学校で習っているよ。」とヒントを出してみる。それでも分からなかったりするので、「じゃあ、答えを説明してみようか。」と、説明すると…「なあんだ、そんなことだったのか。」ということになったりします。
そうなんです。大学受験の問題を解いているときに、「小学校の時に学校で習ったことが使えていない。」という事実。ここに立ち戻らないといけません。この時に、「そんなこと、分かってるよ。」となってしまうのではなく、「うわあ、こんなことすらできていなかった。」という自覚を持てる子は、伸びます。
同じことは、高校生の数学についても言えます。例えば場合の数。理解が不十分な問題についてやり直しをしているとき。「この問題、解答を見ながらでもいいから、解き方を説明してみて。」と言って説明してもらうと、まず前提となる中学数学。その理解がないことが判明したりする。で、その中学数学の内容を説明していると、今度は小学校の算数の理解がないことも判明する。
そうすると、高校数学の問題解説のために、小学校の算数まで遡ることが必要となってきます。これが1つの分野ならまだよいですが、複数分野についてこういう状態になっていると、ホント大変です。「小学校の算数も宿題で出しとくね。」と言うと、生徒は「えええ〜!?先生、それだけは勘弁してください。」と、懇願してくるような目になったりもしますが、無視します(笑)。だって、実力つかないで泣くことになるのが、いちばん辛いでしうから。そういう風に説明すると、大抵の子は納得してくれますね。
(2)塾
リアル。オンライン。個人指導・少人数指導・集団指導。一体どれを選ぶ?
塾にも色々ありますよね。リアルな塾もあれば、オンラインの塾もある。
個人指導もあれば、少人数指導もあるし、集団指導だってある。
一体どれを選べばいいんだろう?迷ってしまいますよね。
そんなとき、いい方法があります。
それは、「選ばない。」ということです。
何じゃそりゃ⁉
そう、何じゃそりゃの方法なんです。
つまり、全部試してみるってことですね。
昔、確か大学生だったときに、何かの本でこんなことが書いてあったことがありました。
「迷ったのなら、全部買っちゃえばいい。」
お買い物の話ですね。
靴が欲しいと思ったとき、「う~ん、この靴とこの靴。どっちがいいだろう?迷っちゃうなぁ。」
そんなとき、「どっちも買っちゃえばいいじゃん。だって迷ってるんだから。」
シンプルですね。スピーディですね。
即座に決められます。
迷う、ってことはどっちも欲しいんだから、どっちも買っちゃう。
とても合理的な方法だと思い、早速実行に移そうと思ったのですが、
私の場合、そもそもあまり迷わない質だった(笑)。
「もう、これしかない!」そう思うタイプでした。
ですから、あまりこの方法は使わずに終わったのですが…
時は経ち、結婚し…
妻が「この服とこの服。どっちがいいと思う?」
「どっちも買っちゃいなよ。だって欲しいんでしょ?」
そんなことを言ってる私がそこにいました。
そうすると、不思議となんか、妻の方が
「あ、やっぱりこっちにするわ。」
みたいな感じで、結局どちらにするか決まるんですね。
「どっちにしよう。」と迷っていたら一生決まらないかのように思えたものが、
「どっちも。」と迷うことをやめた途端に、なぜか即座に答えが出てしまうという。
これは結構不思議な現象ですね。
誰かが迷っているとき、隣で誰かが、「もう、早く決めちゃいなさいよ。優柔不断ね。」
と言う声が今日もどこかから聞こえて来そうですが(笑)、
そもそも人は迷う生き物ですし、
これまた学生の時分に読んだ本なのですが、人が何かで迷っているときは、無意識でどちらがいいのか情報を探している最中なので、思う存分迷えばいい、と。
こういう風に書いてあったものがありました。
「なぁんだ。そうだったのか。じゃあ、気の済むまで迷い続ければいいだけじゃん。」
こう思うと、不思議と肩の力が抜け、迷うことに対する抵抗感や罪悪感みたいなものがなくなったのを覚えています。
まぁ、元来あまり迷うタイプではないので、このアドバイスも結局はあまり使わずにいたのではありますが(笑)…。
ですので、塾を選ぶ、という場面においても、迷うのならとにかく全部体験してみればいいですし、ちょっと入会してみたっていいわけです。
で、何か合わないなぁ、と思えば辞めればいい。
おっ、これは続けられそうだぞ、と思えばそのまま継続してゆく。
やはり、塾などは体験してどう感じるか、そういう実際の感覚が最も大切ですからね。
着てみなければやはりどんな服なのか分からないですし、
食べてみなければどんなお米なのか分からない。
同じように、通ってみなければどんな塾なのか、それはやはり分からない、ということになるわけです。
ですので、迷うならずっと迷うのもよし、迷うなら全部選択してみるのもよし。
「唯一無二の正解」というものに固執しすぎないこと。
これが1つのポイントとなりますね。
塾の使い方。「第3の使い方」とはいったい何か?
さてさて、めでたく自分に合った塾を選べたとして、その選んだ塾をどう活用してゆくか。その話をしたいと思います。
塾なんだから、まずは勉強教えてくれるんでしょ。
そうですね。まず、塾の使い方1番目。「勉強を教えてもらう。」
これ、正しい使い方ですね。
で、次は?
分からないこと、教えてくれるとか。
そうですね。つまり勉強を教えてくれるわけですね。
あっ、そうか。じゃあ、勉強以外のことも色々教えてくれるとか?
そうですね。つまり、何かを教えてくれるわけですね。
あぁ、そうか。じゃあ、教えてくれる以外…あっ、場所を提供してくれる。
そうですね。塾の使い方2番目。「自分にとって居心地がいいと思う空間を提供してもらう。」
これはリアルの場合でも可能ですし、オンラインでも可能ですね。
その場所、その場に身を置くだけで、何かこう、頑張れる気がしてくる。何かこう、やる気が湧いてくる。大事なことです。
で、もう1個。大切な使い方があるんですよね。塾については。
んー、友達作り?
そうですね。つまり居心地の良い…
あぁ、そうか。じゃあ、保護者説明会をしてくれる。
そうですね。つまり居心地の良い空間で…教えてくれる…
あー、そういうこと。じゃあ…何か安心するとか?
その通り!塾の使い方3番目。「とにかく安心する。」
これ結構、大事なことなんですね。これは、塾の選び方にも通ずる部分ですが、何をしてくれるわけでもないけど、何か安心する。何があるわけでもないんだけど、なぜか安心する。
このよく分からないけど、とにかくいいんだよ。
っていう。
これって、結局自分に合ってるっていうことなんですよね。
自分にとってのお気に入りに囲まれると、何だかとってもノリノリになれる感覚。
これは、言い方を変えると、「1つのワクワクは、別のワクワクを引き連れてくる。で、そうやってゆくうちに、自分の周りにお気に入りのもの、ワクワクする出来事がいっぱい溢れるように集まってくるようになる。」
こういうことなんですね。
プラスの循環を作り出すこと。これ、結構大事ですね。
コツコツ努力する、いわゆる目に見える形で目標に近付いてゆくことも大切ですが、同じくらい、目に見えない部分も。大事なんですね。
むしろ、この目に見えない部分にちょっと目を向けて、時折少し意識的になってみることをやってゆくことこそが、目標を達成する際に大きな力となっていたりするもんです。
ですからこの見えない部分。これ、ちょっと意識することをしてみてください。
(3)家庭教師
インプットとアウトプット。家庭教師の存在意義について。
どうして家庭教師の授業を受けるのか。この理由は、授業が進んでゆくにつれて、また自分自身の実力がUPしてゆくにつれて変化してゆくものですが、まず最初の段階で考えておくことも大切ですね。
例えば、苦手科目を克服したいという場合、どうして家庭教師なのか?
それは、「その形がいちばん力がつくから。」ですね。では、苦手科目を克服するということにおいて、家庭教師が有効である理由は?
自分の苦手な部分をピンポイントで、深いレベルで見てゆけるから。そして、出てきたポイントにつき、適切な質問とヒントにより段階的に徹底してアウトプットしてゆけるから、です。
「問いに答える」ということ。「考える力」を引き出すための魔法の方法とは。
「見る。問う。理解する。」
このように導く指導方法を私は「3STEPティーチング」と呼んでいます。
まず、教師がまず生徒の状態をしっかりと見て、どのあたりがポイントなのかを把握してゆきます。次に、それをもとに「今、この子にとってベストだと思われる聞き方」で質問をします。すると、生徒はその質問内容につき自分の頭で考え答えを出す。生徒がどうしても答えを出すことができない場合は、教師がヒントを段階的に出すことにより、徹底的に考える体験をしてもらいます。そうすると、徐々に徐々に、自分が理解できていなかったことが明らかになってきて、より深くより実践的な形で理解することができる。
このようなプロセスを経ると、単に教師が教科内容を説明する場合とは比べものにならないぐらい、生徒自身の「考える力」が引き出され、育ってゆくこととなります。
自分に合った家庭教師を見つけるための5つのポイント
これは、先ほどの塾の選び方と共通する部分は多々あるわけですが、とりあえず並べてゆきたいと思います。
ポイントその①:「第一印象がどうなのか。」
まずこの第一印象。結構重要ですよね。ホームページやパンフレットなどを見てみて、その先生のことをどう思うのか。どんな感じがするのか。
これは、色々考えてみるのもいいですが、理屈抜きに印象や感覚といった部分でどうなのか、というのを感じてみるのも大事なことですね。
ポイントその②:「未来が見えるかどうか。」
で、この先生と一緒に勉強を楽しく進めてゆけるかどうか、つまり一緒に頑張っている未来が見えるかどうか、が次のポイントですね。
ハッキリとは見えないけれど、何となく明るい未来が見えるのかどうなのか、ということですね。
第一印象では良さそうだったけど、実際会ってみると、何かこの先生と一緒に勉強してるイメージが湧かないわ、となったのなら、それはご縁があまりなかった、ということになるでしょうし、
第一印象は割と普通な感じだったけれど、実際会って話してみると、なんかこう、すごく親近感が湧いてしっくり来るっていうか、自然体な感じがして、色々なことを一緒に共有しながら、楽しく勉強できてそうなんだよね。
こう思えるのなら、その先生との縁は大事にしてゆくとよいでしょうね。
ポイントその③:「自分の気付かないところに気付いてくれるかどうか。」
これ、結構大事なんです。家庭教師の役割というと、色々あるわけですが、その中でもかなり大事な部類に入ってくる役割の1つが、お子さんの気付かないところにちゃんと目を向けてくれること。なんですね。
なぜなら、自分では気付かないところは手付かずのまま、いわば未開の地であるわけですから、この未開の地をどうしてゆくかこそ、受験生なら合否を決する最大のポイントとも言えるわけです。
目に見える部分に働きかけることももちろん大事ですが、目に見えない部分。あまりクローズアップされたこなかった部分に、いかにスポットライトを当ててゆけるのか。
このあたりが指導者には求められている大事な部分ですね。
ポイント④:「いい時ばかりでなく、悪い時も、いや、悪い時こそとことん付き合ってくれるか。」
これも大事なところですね。一緒に勉強をしていれば、順調に進むときもあれば、思うように進まないときもある。
思うように進まず、なんか悪いサイクルに入って来てるな、と思ったときに、どんな対応をしてくれるのか。
明確な答えを与えてくれるのか、そっとヒントを言って導いてくれるのか、黙って横で見守ってくれるのか。
どれが正解なのかは場面場面によって変わってくるわけですが、大切なことは、「教師自体がちゃんと見えている状態でそれをやっているのかどうなのか?」つまり、意識的に1つ1つのことを選択できているのか、ということなんですね。
そこの部分が曖昧であると、気付けば全員が何かこう、けだるい感じになってしまうというか、違和感や無力感が家の中に漂い続けることになってしまうというか、とにかくあまりよろしくない方向に事態が進んでいくことになったりします。
ですので、この、悪い時にどういう選択をどのような意識でやってくれる先生なのか、この視点もしっかり大事に持っておくといいですよね。
ポイント⑤:「タイミングよく全てが進行してゆくか。」
最後のポイントは、ズバリ「タイミング」ですね。タイミングがバッチリ合い続けるのかどうか。その先生のバイオリズムと自分のバイオリズムがシンクロするのかどうか、ということです。
どんな良さそうに思えた先生でも、途中からタイミングがズレて来たら、それは要注意のサインですね。
その先生と波長がちゃんと合うのなら、タイミングはバッチリ合うものです。これはもう、見事に合いますね。
ですからこの最後のポイント。タイミングが合うか、タイミングが合い続けるかどうか、というのは自分に合った家庭教師を見つけようとする際には、とても大事な指標となってきます。
(4)オンライン動画コース
いつでもどこでも何度でも。
さて、お次は「オンライン動画コース」です。この学習手法の何がいいって、それはまずもう、いつでもどこでも自分の好きな場所で好きな時間に受講できる、っていうところですよね。しかも、何度でも好きなだけ受講できる。
これは、自分のペースで自分の好きなように自由に学習を進めてゆきたい、っていう人にはピッタリの受講形態ですよね。
家でくつろぎながらゆったり受講するのもよし。素敵なカフェでリラックスして楽しく受講するのもよし。ジョギングやトレーニングをしながらちょっと活動的な感じで受講するのも、もちろんありですね。
毎日自分がやっていることにうまく組み合わせれば、とってもいい形で習慣化させることもできます。
まあ、唯一のデメリットと言えば、「毎週決まった曜日の決まった時間に始まるわけではないので、サボり癖がついてしまうと、ずっとそのままになってしまうかも。」ということでしょうか。
これは、もう、全ては自分次第なので、ここら辺は自己管理だけはしっかりね、ということですね。
観ているだけで「考える力」ってつくの?
ところで、オンライン動画授業って基本的に双方向というよりも、講師が話しているのを生徒が視聴しているだけ、という形ですよね。
このような形で、つまり動画を視聴しているだけで「考える力」って本当につくの?っていう疑問が出てきます。
これはまさに、「どの動画がいかに双方向を意識して作られているか。」ということと、「視聴している側が、いかに目的意識を持って視聴できているか。」ということにかかっていますね。
楽しい動画ではあるけれども、しっかりと考えるということを視聴者に促すような仕組みが随所の施されている動画であれば、リアルの授業あるいはリアルタイムの授業と同じぐらいの、場合によってはそれ以上の臨場感と双方向性を持っているものなので、動画を視聴しさえすれば、考える力はどんどんついてゆきます。
また、視聴者の側も決して受け身にならずに、「自分もこの動画授業に参加している、いや、自分こそ中心となってこの動画授業に参加している。」という意識を持って主体的に動画を視聴することができていれば、それはものすごい勢いで知識を吸収し、考える力を飛躍的に伸ばしてゆくことも十分可能だと言うことができます。
どこまで行っても、自分次第、ですね。
受験なのにふざけてる。ふざけてるのに、力がつく。
さあ、私がオンライン動画授業で講師として授業をする場合は、とにかく楽しく面白く、ということを大切にしています。だって、面白くなければすぐに飽きてしまって、勉強が進まないですからね。
もちろん、この「おもしろい」ということの中には、くすくすゲラゲラ笑うおもしろさもあれば、興味が湧いてワクワクするというおもしろさもあるわけで、学びがしっかり深まってゆく面白さ、ということですね。
中学受験の動画授業なのに、内容はおちゃらけてふざけているものもありますね。
そう、受験なのにふざけてるんですよね。最高じゃないですか!何事も面白くてなんぼですからね。
で、ふざけているだけで、力がつかないのではだめですが、
ふざけてるのに、力がつく。これ、やっぱり最高じゃないですか!
でもね、よくよく考えてみればですよ。
受験なのにふざけてるんじゃないんです。
受験だからふざけてるんですよ。普通にやっていたら、受験なんて、真面目で面白くない方向に行っていまいがちですからね。で、気付いたらガチガチのお堅い感じになってしまう。
だからそこは、受験だからあえて積極的にふざけてゆく。
それを意識的にやってゆくことによって、
ふざけてるのに、力がつく。
いや違う。
ふざけてるから、力がつく。
っていうことになるわけです。
だって、ふざけてるってことは、もう、勉強しながら遊んでるのとおんなじですからね。勉強と遊びの境界を飛び越えて、ワクワク楽しむ心で勉強に取り組む。
そのように勉強に取り組んでいるときは、理解力も集中力も創造力も、もう、ありとあらゆる力が全開になっていますからね。
知識も力もあり得ないぐらいの伸びを見せてゆくってことになります。
こういうことが可能なのって、やっぱり「オンライン動画コース」だからなんですよね。
ですからこの学習形態が、私のいちばんのおススメのうちの1つですね。
(5)完全自学自習
自学自習は最初の形態であり、最終形態。
さあ、出ました。完全自学自習。
これは最強ですよ。もう、理想形と言っていい。
誰の力を借りるでもなく、自ら学び、自ら成長してゆく。
最強です。
私はなぜこれが理想形だと思うかと言うと、大学受験のときに自分自身がそうしていたからなんですね。
予備校に通ってはいましたが、英語・数学・国語に関しては特に、とにかく授業の予習をするようにしていて、もう、目の前で行われている授業のだいぶ先を行っていたんですね。
初めのうちは、自分の予習したことの答え合わせと理解が不十分な部分の確認という意味で授業を受けていたんですが、途中からは、一部の授業を除いてほとんどの授業を受けなくなったんですよね。
代わりに、授業が行われている時間帯に、自習室に行って自習をしていた。
これね、あんまりこういうことをしている人、周りにいなかったんですが、自分は気付いたらこういう形で学習を進めていました。
だって、受験までの時間は限られているわけですから、分かり切ったことに時間をかけている場合じゃないんですよね。その時間は、苦手分野を徹底的に学習し直したり、まだ学習できていない分野を新たに学習したりすることにあてるべきです。
ただ、これは自分の学習管理能力に自信がない人の場合は厳しいですし、高校受験や中学受験でこれをやるのは、大学受験ほどスムーズには進まないでしょうね。
でも、もしできるのなら、やっぱり自分のために100%カスタマイズされたカリキュラムで自分の思い100%で進めるのが、いちばん合格に近くなると思います。
自ら学び、自ら助く。
そして、これは方法論だけの話にはとどまらないと私は考えています。なぜなら、この自ら学ぶということを大事にするという、この心構え自体が自分自身を大きく成長させるからなんですよね。
私の場合、浪人時代、「勉強は外でしか、しない。家に帰って来たら、勉強のことは一切忘れる。」と決めていました。こう決めていたからこそ、その日のメニューを終えるために、外で、これは予備校の校舎だけでなく、通学途中の電車の中なども含みます、学習しきる、その日のスケジュールを絶対にこなしきる、ということが徹底的にできたんだと思います。
もちろん、教師と生徒とのやり取りの中で、コミュニケーションを積み重ねる中で、学習内容がしっかりと身に付く、ということもあるとは思います。
でもね、やっぱり勉強って基本は1人でやるもんなんですよ。内なる自分、内面世界の中で、学習内容と自分がちゃんと対峙して、向き合って、そこで深まってゆくもの、これが勉強だと思いますね。
いや、勉強という表現より、学問という表現の方がしっくり来ますね。
おそらくね、この学問ということが、昭和以降、平成、令和と進んでくる中で、どうも忘れ去られてしまった気がするんですよね。この日本においては。
でもね、人ひとりが真剣な気持ちをもって、何かを追求し探究してゆく、このことの大切さは、今ますます必要な時代になっていると思いますね。
だって、どんなにAIなど先端のテクノロジーが発達して来たとしたって、この世界をどうしてゆくのかを決めるのは、私たち人間ですからね。どんなに技術が発達したって、何をしてよくて、何をしたらだめなのか、これを決めるのは、どこまで行っても私たち自身なんですよ。
その、決めるっていうことをするためには、前提として、何かを、どの分野でもいいです、自分にとって大切だと思える何かを、徹底的に追求し探究して来たかどうか、っていうことがとてもとても大事なんですよね。だって、その追求し探究しということをする中で、人は本当に、考えるということをしますからね。
その考えるっていうことをして来ているからこそ、大事な場面で決める、決断を下す、価値観を示す、ということがバランスの取れた形で的確にできるわけです。
このような、骨太の学問。これが今の時代もう一度見直される必要があると思っています。
そしてそれはね、小学校から始まっているんですよね。
三つ子の魂百までと言います。子どもの時、どのように勉強や学問というものに向かっていたがが、そのまま、大人になったときに仕事というものにどう向き合うかにつながってゆきます。
もう、始まっているんですよね。
ところが、周りを見渡してみると、自分にも課されている何かがあるということ、大切な使命がどんな人にもちゃんとあるんだということ、このことを前提に勉強をしている子どもたちは極めて少ないように思います。
「自分なんて。」なんてこと、言っちゃだめなんですよね。
だって、本当はそんなこと言いたいわけじゃないでしょうから。
本当は、心の奥底では、何かをしたいと思っている。何者かになりたいと思っている。でも、それがまだぼんやりしていて、ハッキリとは見えない部分がある。
だから、勉強するんですよ。
みんな、迷っていたんです。迷っているんです。だから、勉強した。学問をした。追求し、探究した。
その本気に触れてみる。その本気を味わってみる。
これこそが、本来の、勉強・学問の醍醐味なんですよね。
これこそが、本当の意味の「面白さ」なんです。
ここらあたりについて、真の気づきを得て、自らの人生を歩む覚悟があるのであれば、究極的には勉強は自学自習、これに限ると思いますね。
自分の頭で考え、自らの可能性を全開にする。
この、「自分の頭で考える」ということ。この部分をどうか軽く考えないでほしいと思いますね。
誰がかというと、子どもではなく、「大人が」です。
よくこんなことを言う親御さんがいらっしゃるんですよね。
「もっと、自分の頭で考えなさい。」
ってね。
でも、これはものすごく厳しい言い方になるかもしれないですが、
「あなたは一体、どの程度自分の頭で考えてきたんですか?」
と。
こういうことですよね。
「そんな、私の話じゃなくて、息子の話をしてるんですから…」
と思われるかもしれませんが、
そう思われるのなら、息子さんや娘さんの勉強に口を出すべきじゃないです。
だって、人はいつでも「自分」のことについて語るべきであって、「自分」のことについて考えるべきであって、
たとえ息子さんや娘さんであったとしても、自分以外の人のことは、基本的には分からないですからね。
そして、これも厳しい言い方になりますが、大事なことです。
「自分ができていないことを、あるいは自分ができているつもりで実際にはできていないことを、まるでできているかのように語るのなら、相手はそのことを敏感に察知します。」
ということですね。
以前、指導した生徒のお母さんで、こんな方がいらっしゃいました。
確か理科のことについて語っていらっしゃったときだっと思いますが、
「こんな問題は、すぐ解けるでしょ。」
とおっしゃったんですよね。
そのとき、いつもおとなしかった息子さんが、
「いや、お母さんはこの問題、解けないでしょ。」
と、ものすごく冷静に言ったんです。
そして、そのときから、その瞬間から、親子関係はガラッと変わりましたね。
それまで、「お母さんが息子さんに色々なことについて口を出す。息子さんは黙ってそれを聞いている。」という関係性だったのが、
「お母さんは言いたいことはあるけれど、黙って見守るのみ。息子さんはそれまで通り、多くを語らずやるべきことを自分のペースでやっている。」という関係性に変わったんですよね。
もちろん、このように変わったからといってそれで全ていい形で進むわけではないんですが、
少なくとも、「嘘」「ごまかし」がなくなったわけです。
そうですね。これはかなり厳しいことを申し上げていることは分かっています。
でもね、例えば中学受験をなさる、という場合。
時間が限られているんですよ。そして、可能なら、もし可能なら、絶対に絶対に、志望校に合格したいですよね。
後悔したくないですよね。
であるなら、息子さん娘さんだけでなく、お父さん・お母さん、家族全員が、後悔しないように、
やり切らないとだめなんです。
本気にならないとだめなんです。
この本気というのは、厄介なもので、
「自分は今本気だ。」って思っているときに限って、案外そうでもなかったりするもんなんですよ。
だから、他者が存在している。自分以外の誰か他の人の言うことを聞く、ということが大切になってくるわけですね。
こんなお母さんもいらっしゃいました。
「私は、もうできるだけのことは、全部やり尽くした。」
そんなわけないんですよね。だって、実際、息子さんはものすごく悩んでいるんですから。
気持ちは分かりますよ。かなり頑張って来られたんだと思います。色々を、できる限りのことをしてきた。辛い気持ちを乗り越えて、頑張って笑顔でいて、やりたくないこともいっぱいして、でもなかなか思い通りにいかなくて、当の本人はやる気があるんだかないんだかよく分からないような状態が続いている…
でもね、ここであきらめちゃだめなんですよ。
むしろ、ここから始まるんですよ。
分かります。辛いですよね。
こんなに頑張ってきたのに、まだ頑張るのか、と。
そんなときは、とにかくゆっくり休むことです。まず、「自分」を取り戻すことです。
自分を取り戻せば、見えてくるものがあります。
「ああ、なんで今まで気付かなかったんだろう。こんなこと、いつでも気付けたはずなのに。」
でもね、このタイミングで良かったんです。このタイミングで完璧なんです。
つかもうとすればするほど、物事はすり抜けてゆきます。
もがけばもがくほど、事態はもつれてゆく一方です。
本当に頑張るということは、真の意味で本気になるということは、
力を抜くということなんです。
力を入れることが本気だと思うのは、まだそれでいけていたからですね。
本当の意味の試練がやって来たとき、それはいかに力を抜いた状態で最高の選択ができるか、という、その真剣勝負だということがその瞬間分かります。その瞬間悟ります。
受験がまさにそうですね。
真剣勝負ですから。
どんなにご自分が過去に受験をなさったことがあったとしても、所詮それは過去のことなんですね。今ではないです。
そして、どんなに経験して来たと言ったって、所詮それは自分の経験でしかないんですよね。息子さん娘さんの経験ではないです。
ですからどうか、決め付けないであげてください。焦らないであげてください。急がせないであげてください。
息子さんは、娘さんは、ちゃんともう、考えているんですよ。自分の頭で、精一杯、考えて、できる限りの、努力をしているんです。
たとえそうは見えなくても、です。
いや、そうは見えないときこそ、実はそうなんです。
ここに気付けるかどうかは、ひとえに、お父さん・お母さん、あなたがご自分の人生で何を経験し何を乗り越えて来られてきたのかにかかっています。
そうです。お子さんが試されているのと同様に、お父さん・お母さん、あなたも試されているのです。
これが、「中学受験は家族全員の受験だ。」ということの本当の意味です。
私は、決して、もっと反省し、もっと後悔し、もっと罪悪感を持った方がいいですよ、と申し上げているのではありません。
むしろ、全く逆のことを申し上げています。
ご自分の人生を振り返って、もっとご自分のことを認め、もっと褒めて、もっと信じてあげてください。そう、申し上げているのです。
そのことをやってゆくプロセスで、必ず気付くはずです。自分は、色んな人の力があって、色んな人の支えがあって、ここまで生きて来たんだ、ということに。
そこに本当の意味で気付けるとき、本気でそこに目を向けられたとき、
初めて子育てができる自分になるんですよ。
「いや、自分なりにここまで子育てして来ました。」
もちろん、分かっています。
しかし、ここで申し上げているのは、本当の意味での子育て。息子さん・娘さんと本当の意味で語り合い、分かり合い、ともに時間を過ごせて本当に良かったと思える、そういう子育てのことなんです。
この本当の意味での子育てができれば、初めて、息子さん・娘さんと向き合えるようになるはずです。
人と人として。人間と人間として。
そうした瞬間こそが、「やれることは全てやり切った。」と本当に言い切れる瞬間なんですよ。
そして、「もう大丈夫だ。息子は、娘は、もう大丈夫だ。」このように思う瞬間なんですよ。
この瞬間のために、全てがあったんだ、と思えるぐらい、感動と感謝の気持ちが溢れ出てくる瞬間なんですよ。
これは、体験したことがある人にしか、分からないことです。
誰かが既に体験したことを、映画やテレビや本などを通して分かったつもりになっても、ダメなんです。
自分自身が、経験することに意味があるんです。
経験したことは、そのままお子さんに伝わります。
経験していないことを、さも経験して来たかのように言うことはできないんですね。
そうです。等身大でいいんですよ。ちょっといい加減で、結構すぐ不機嫌になって、実は定期的に不安になってしまう、等身大の自分のままで。
そこを、まあ、ちょっとカッコよく見せようとしてしまうと、そこからおかしな関係性が始まってしまうんですよね。で、気付いたらかなり大変な状態になっている。
物事は、小さいうちに処理しておけば、本当にちょっとの労力で済むんです。それを、「まだちょっとだから。」と言って、放置しておくから、もう手の施しようがないような事態にまで大きくなってしまう。
難しいですよね。でも、難しくないんです、実は。
「これぐらい。」と思ったことが、後に、大勢の人を巻き込んでとんでもない事態を引き起こす、ということがあるんですよね。
ですから、その「これぐらい。」と思っていることこと、大事にするようにしてください。
そうすれば、その大事に思う気持ちが、ちゃんとお子さんにも伝わってゆくんですね。
で、その積み重ねが、「自分の頭で考える」ということ、この広い地球で、たった一人の、かけがえのない、大事な大事な人間である、「この私」として、胸を張って堂々と自分の考えを述べてゆくということにつながってゆきます。
きっかけは、何でもいいんです。大層な、取って付けたようなことより、もっとなんか、しょーもないこと、くだらないこと、笑っちゃうようなことの中に、きっかけがありますね。
このブログシリーズも、ここをもって終わりです。
ここまで長い文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。
あなたとあなたのお子さんにとって、幸せな日々がずっと続き、その幸せが周りの全ての方の幸せへとつながってゆくことを、心から願っております。
いつかまた、会える日を楽しみに。