スペシャル無料講座「考える力をつける勉強法」― 幸せな大人になるためのゴールデンルート ― ④
2.ロボット人間とマニュアル人間。考えることを放棄してしまう、思考パターンとは。
(1)受験生を取り巻く、ある特殊事情。
さて、それでは次に、「なぜ人は、自分の頭で考えるということを徐々に徐々にしなくなっていってしまうのか。」ということにつき、お話をしていきたいと思います。
再び受験生を例にとってみましょう。受験というのはある意味特殊な世界、異常な世界と言ってもいいでしょう、とにかく普通ではない世界だと言うことができます。というのも、本来なら長い間じっくり時間をかけてコツコツと培ってゆくはずの実力を、基本的には「入試本番というタイムリミットがある状況において、できるだけ短期間で、できるだけ簡単に、できるだけ大きく伸ばしてゆく」ということを目的にしているからです。
まあ、それはそれで面白い世界なので、チャレンジしてみることはいい経験、やり方によっては自分自身の成長・発展につながってゆくことも確かです。「受験という限られた枠」の範囲でいかに考える勉強をやってゆくか、こういうことに挑戦してゆくことはとてもワクワクする体験ではあります。だからこそ、私は受験生の指導をすることをライフワークとしてずっとやって来ているのですが、やはり受験生を見ていると気の毒に思えてくるケースが多いです。毎日毎日、来る日も来る日も、ひたすら塾や予備校において教わってきた解法パターンや重要知識の記憶に勤しむ日々。きちんと理解した上での記憶であればまだよいのですが、そんな余裕がある子は決して多くはない。大抵の子は、与えられた知識をただそのまま無理やり飲み込んで、吸収しようとしているような状態。本当に勉強が辛そうです。そしてもちろん、徐々に入試改革がなされてきているとはいえ、基本的には現状ではまだまだ、その記憶がどれだけ完璧にできているのか、それを試す場がテストであり入試であり続けているわけです。
ところがこれは、そもそも無理がある話なんですよね。テストや入試という、いわゆる本来は「実力」を試す場であるはずのところで、実力とは無関係な、記憶力を試している。もちろん、記憶は大事ですよ。特に小さい頃は。理論理屈を抜きに、とにかく覚える。覚えて覚えて覚えまくるうちに、自分の中で、自分の頭の中でポッと開けてくる回路が出てくる。あるいは、古文や漢文など、多くの古典文学に触れてゆくこと自体が、その子の感情面・情操面を培い養ってくれる。そういうことはもちろん、大事なことです。
しかし、いつまでも何でもかんでも記憶・記憶・記憶でいいのか、ということです。どんなに自分の頭を使って勉強したとしても、残念ながらそれは例えば選択式テストの答案用紙の上からは、基本的には見えてこない。なぜなら、覚えているかどうかを試すテストだからです。そうすると、どんなに苦労して自分の頭で考えても、結局は「覚えているかどうか。」が試されるわけですから、子どもたちも「じゃあ、もう手っ取り早く、解き方を覚えちゃえ。だって楽だし。」ってなってしまうわけです。
で、お父さんお母さんも、どうせテスト結果を見せてもらうのなら、30点のテストを見せてもらうよりは、できれば80点のテストを見せてもらいたい、というのが親心というものなんですよね。そうすると子どもの方も、「お父さんお母さんの喜ぶ顔が見たい。」と思うので、ますます解法パターンをせっせせっせと記憶しては、80点のテストをお父さんお母さんに運ぶ、ということがもう、仕事みたいになってくるわけです。こうなってくるともはや、「解法暗記・80点テスト配達マシーン」ですよね。
ところが、あるとき気づくわけです。「あれ!?何かがおかしいぞ。記憶だけが試されているはずだったのに、記憶だけでは点数が伸びていかない。」という事実に。例えば入試直前に数学の問題を解いているときに。例えば、国語の読解問題のテスト直しをしているときに。「ダメだ。全然分からない。どうしよう。もう入試まで時間がないのに、いったいどうしたらいいんだろう。」
(2)「キミ、だれ?」(笑)
どうしてこんなことになってしまうのでしょうか?どうして、こんな状態になるまで気づかないのでしょう?
それはやはり、「人間は、もういよいよ限界、っていうことになるまで、気づかないし、気づこうとしない。」っていうことがあるからです。私の場合、お菓子ですね。結構お菓子が好きで、家庭教師先で「先生、ここのケーキ、とっても美味しいんですよ。」なんて言われて出されたりすると、ペロッと平らげて、で同じ日にまた別の生徒さんのお宅に行ったとき、「先生、ここのお饅頭、人気なんです。行列ができるぐらい。」なんて言われて出されたすると、またペロッと平らげて…家に帰ってくれば帰ってきたで、「今日はよく働いた。ご褒美に菓子パンでも食べようか。」とやっていたら…ある日自分が写った写真を見たときに、「キミ、だれ?」ってことになりました(笑)。それ以来、お菓子は一切お断りすることにしています。だって、太るのは簡単ですが、ダイエットするのってホント大変でしたから。
いやあ、もう、人間、そんなもんなんですよね。やっぱり。気づかないんですよ。自分のことは。他人のことなら気づくんですけどね。「人は自分を映す鏡」とは言いますが、なかなかなかなか。
ですから、勉強の場合も、特に受験ですよね。受験の場合も、なかなか気づかない。気づこうとしない。「まだ、もうちょっとイケるやろ。」って感じで。イケないイケない(笑)。間違いなくキミが行ってる先、行き止まりやから。そう言ってくれる人がそばにいる場合はまだいいんですが、みんなして行き止まりに向かって突撃しているような状態の場合、結構笑えない話になってくるのではないでしょうか。
(3)成績いい子こそ、実は危険。「○だけちょうだい人間」のたどる悲しい末路とは。
家庭教師をしていると、結構いらっしゃるんです。「成績はいいのに、実力が?な子」っていうのが。「あれ!?この子、こんなに偏差値高いのに、何これ?」みたいな(笑)。で、よくよく見てゆくと、原因が分かります。「ああ、そういうことだったのね。それなら、わかるわかる。」と。つまり、「○をもらうこと」「偏差値を上げること」にばっかりに意識が行っていて、「分からないこと・理解していないことについて、しっかり分かるまで理解できるまで考える。」ということに意識が行っていないんですね。そうするとこれは、残念ながら「基本的には一から勉強やり直し。」、ということになるんです。もちろん、初回授業からそんな風には言わないですが、徐々にそういうことに気づくように促してゆくわけです。いずれにしても、「えー!?」ってなりますよね。「そんなはずはない。私は結構成績取れてるし…ね、お母さん、この先生何か一から勉強やり直すみたいな変なこと言い出してる。何とか言ってよ。」みたいな感じになったり。
でも、お母さんはもちろん、薄々気づいているんです。「この子、確かにテストで点数は取れてるけど、悪いときはとことん悪い。分野によっては全く理解できていないのかもしれない。実力がないんだわ。」と。
ところが、そもそもこの子が「○だけちょうだい人間」になってしまった理由が、実は「お父さんお母さんにほめられたい。」だったりすると、結構厄介なんです。この子にしてみれば、「お父さんお母さんの望むように、点数を上げてきた。」のに、ある日突然「おまえのやってきたことは間違っていた。」みたいに言われるわけですから。騙されたような、裏切られたような、複雑な気分になります。「じゃあ、私は一体どうしたらいいの?」ここで気持ちを切り替えられればよいのですが、妙に育ってしまった「プライド」が邪魔してしまうと、なかなかスムーズには進みません。逆に言うと、そこを乗り越えさえすれば、もともと勉強習慣はできていて知識自体は持っている子です。「自分の頭でしっかり考えて勉強する」というやり方によって、それまで頭の中でバラバラに存在していた知識を、実際に使える形でつないでゆくことができれば、比較的短期間で実力をUPさせることも可能となってきます。
(4)気づかないと手遅れになる。「中間期末病」は、大人になってからも続く。
「とりあえず急場をしのいで、何とかしようとする姿勢」のことを、私は「中間期末病」と呼んでいます。すなわち、中間テストや期末テストの直前に、それこそ一夜漬けに近い状態でとにかく知識を頭の中に叩き込んでゆくような勉強の仕方です。
(5)ロボット人間とマニュアル人間。
(6)センター試験廃止。「考える大人」として、社会を歩く。
(7)不登校の子。学校に通うことがゴールとは限らない本当の理由とは。