【夕方の部のみ募集中です!】「Kan.さん奈良おはなし会&セッション」後の体験シェア会 申し込み・お問い合わせ

このたびは、「Kan.さん奈良おはなし会&セッション」後の体験シェア会~「物語は続いてゆく。理解し理解され、ポテンシャルを開く。」へのご参加、まことにありがとうございます。

内容をご確認の上、申し込み・お問い合わせフォームに必要事項を記入して、送信してください。

Kan.さん奈良おはなし会&セッション」後の体験シェア会

~「物語は続いてゆく。理解し理解され、ポテンシャルを開く。」

【日時】

12月15日(土)


午前の部:10時~12時
(懇親会:12時15分~)

午後の部:13時30分~15時30分
(懇親会:15時45分~)

夕方の部:17時~19時
(懇親会:19時15分~)


いずれか1つにご参加ください。

ご家族での参加も可能です。ただし、Kan.さん奈良おはなし会&セッションに参加なさった方ご本人の家族に限ります。
途中参加、途中退室は自由です。
懇親会は、希望者のみのご参加となります。

【場所】

石田家個人サロン(奈良県高市郡高取町。近鉄壺阪山駅から徒歩5分。詳細は、申し込み後にお伝えいたします。)

【内容】

Kan.さん奈良おはなし会&セッション後に、自分自身が経験したこと、思ったこと・感じたこと、今思っていること・感じていること・悩んでいることなどを、シェアし合う。

【定員】

午前の部、午後の部、夕方の部それぞれ10名。

【参加費】

1,000円(当日、現金にてお支払いください。)

【主催】

石田栄嗣

午前の部・午後の部は、受付終了いたします。ありがとうございます。

夕方の部は、引き続き募集中です。1分でも1秒でも参加できる方は、ぜひ参加してくださいね♪

子どもをコントロールしようとする親

 

こんな方がいらっしゃったりします。

「うちの子、勉強しないので、うまくご褒美を与えて、何とか気持ちが勉強に向くように…」

このように思っていらっしゃる方は、自分自身が実は大きな代償を払っていることに気づいていません。

「◯◯をあげるから、◯◯をしなさい。」

人間は犬ではありません。
誰か他人の条件付けによって、自分以外の人間のコントロールによって何かをする、そんな風にはできていません。

親の言うことを子どもが聞くのだとしたら、そこには必ず理由があります。

「そうすることが、楽しいから。幸せにつながるから。成長できるから。」

いろんな理由があることでしょう。

その理由こそが行動を促す原動力であり、継続してゆくモティベーションとなってゆくはずです。

それさえあればいいはずなのに、なぜ、「ニンジン」をぶら下げる必要があるのでしょうか?

それは、子どもさんの本当の気持ちを確かめたとしたなら、親の期待が裏切られる、そう思っているからではないですか?

だから、肝心の部分からは目を背けさせ、ごまかしのニンジンをぶら下げる必要が出てくる。

子どもの人格を、子どもの人間性を無視し、大人の好きなようにコントロールしようとすれば、必ず後で大きなツケを払わされることになることでしょう。

それは、人間は人間だからです。

動物でもなければ、ロボットでもない。

いや、動物だって、ロボットだって、その存在には敬意を払うべきでしょう。

動物や植物、この地球に住む生命体にはそれぞれの存在意義があり、それぞれの「生きる理由」があります。

人間においてもそれは同様です。

個々人が生まれてきた意味。理由。存在価値。

そこの部分にしっかりと触れてゆけば、自ずと道は定まってきます。

我々大人にできることは、その道筋を見つける手伝いをしてあげること。

ちゃんと子どもたち自身の気持ちを確かめた上で、納得して進めてゆくこと。

そこで見えてくる世界は、ニンジンぶら下げ方式の世界とは、全く違うものになるはずです。

どちらを選択するか。

それは、私たち大人1人1人にかかっている。

私はそう信じています。

お子さんを「信頼」していますか?

 

家庭教師の授業後に、ある生徒(小学校5年生の男の子。Mくんとします。)と、そのお母さんと3人でお話していたときのことです。

子どもの出している「サイン」に気づく

 

家庭教師をしていると、気づくときがあります。

 

「あ、この子はいま、大人たちに気づいてほしいんだな。」

 

と。

 

例えば、不必要に、不自然な「作り笑顔」をする子の場合。

 

その笑顔の裏に隠されている、本当のその子の顔は、泣いていたりします。

 

でも、周囲の大人は、なかなか気づいてくれない。

 

「笑顔を振りまいている、明るい子」

 

ぐらいにしか思ってくれない。

 

もちろん、つらいとき、悲しいときこそ、笑顔になることが大事だったりもします。

 

実際にそうやって、乗り越えてゆくときもあります。

 

でも、いつもいつもそうやっていたら、一体どうなってしまうのでしょうか?

 

泣きたいときには、ちゃんと泣く。

 

涙を出し切れば、自然と笑顔になれる。

 

だから私は、そのように、「作り笑い」「見せかけの明るさ」を演じている子の前では、わざと暗い話をしたりします。

 

悲しいときには、悲しめばいい。

 

泣きたいときには、泣けばいい。

 

それができれば、前に進めるから。

 

暗闇を恐れる必要なんて、ないんだよ。

 

暗闇でひとりぼっちのときは、そうなんだから。

 

無理に明るくしたって、そこには影が伸びてゆくだけ。

 

自分自身の暗さを好きになれば、明るさだって、好きになれる。

 

そんな風に心の中で、そっとその子に伝えるときもあります。

 

ありのまま、その子が持って生まれた、

 

その「奥」を見つめて。

 

子どもたちは、可能性を秘めています。

 

もちろん、大人たちだって。

 

だからこそ、自然体で。そのままで。