立春と1年の始まり

 今日は立春ですね。旧暦において立春とは、春の始まりであり新しい1年の始まり。

 1年を72の季節に分ける七十二候において、立春の候のことばは、

 「東風解凍(とうふうこおりをとく)」

 東から吹く風(暖かい春風)によって、川や池・湖に張っている氷が解けてゆく。

 本来南から吹くはずの暖かい春風を「東風」と呼ぶのは、旧暦の七十二候が中国から伝わったものであることと関係しています。

 中国の陰陽五行思想においては、「春と東、夏と南、秋と西、冬と北」という対応関係があると考えられていて、春は東と結び付いているため、春風を東風と呼びます。

梅青空メジロ

東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花

   主なしとて 春を忘るな

菅原道真

現代における「学問」の意義とは?

 菅原道真が登場したところで、話を学問に移してゆきましょう。

 「勉強」という言葉はよく聞くけれど、「学問」という言葉を聞くことは少なくなってしまっている現代。

 現代において、学問はいかなる意味を持つのでしょうか?

 「自ら学び、自ら究めてゆく。」

自ら学ぶ

 テクノロジーがますます発達し、人間がしてきたことについて機械が取って代わる今日。自ら学んでゆくことの重要性はますます高まっています。

 人間にできることは何か?人間にしかできないことは何か?

 自分にできることは何か?自分にしかできないことは何か?

 自ら問い、自ら答えてゆくプロセスの先に、自分自身の学問があるのではないでしょうか?

1年の始まりに何を問う?

 人が1年の始まりにすること。

 それはきっと、どこまでいっても「問いを発すること」なのではないでしょうか?

 今年1年、どんな年にしよう?

 昨年できなかったことは、何だろう?

 なぜできなかったのか?どうすればできるようになるのか?

 受験をする人も、そうでない人も。

 勉強が好きな人も、そうでない人も。

 それぞれがそれぞれに対して、問いを発する。

 答えは…

 誰かが与えてくれるかもしれないし、自分自身で出すのかもしれない。

 すぐに出るかもしれないし、その場では出ないかもしれない。

 言葉の形でやって来るかもしれないし、日々の生活の中で経験としてやって来るかもしれない。

 自分自身のこだわりを大切にしつつ、「こうでないといけない。」という思い込みを、そっと外してみる日。

 今までの自分から自由になり、新しい自分と出会ってゆく。

 1年の始まりは、可能性に満ちています。

Dancing funny tigers

 

 

 

 

 

中学受験と節分

節分の意味と豆まきの由来

 本日は節分ですね。旧暦においては、季節の変わり目である立春の前日であり、1年の終わりすなわち大晦日。新暦に馴染んだ現代の生活においてはあまりピンと来ないかもしれませんが、旧暦の七十二候においては、明日から季節は春となるばかりでなく、明日新しい1年が始まることとなります。

 邪気を払って無病息災を願う豆まき。季節の変わり目に出てくる悪鬼・邪鬼を退治する、つまり魔を滅する「魔滅(まめつ)」の音に通ずることが由来だと言われています。豆によって鬼を退治することについて室町時代中期に編纂された壒嚢鈔(あいのうしょう)には、次のように記されています。

豆まき

 壒嚢鈔 巻第一 八十三

 「…節分ノ夜大豆ヲ打事ハ宇多ノ天皇ヨリ始レリ鞍馬ノ奧僧正カ谷美曾路池(ミゾロイケ)ノ端(ハタ)ノ方丈ノ穴ニ住ケル藍婆惣(ヲンバソウ)主ト云二頭ノ鬼神共ニ出テ都へ亂レ入ントシケルヲ毘沙門(ビシャモン)ノ御示現ニ依テ…三斛(ゴク)三斗ノ大豆ヲ熬テ鬼ノ目ヲ打ハ…然ラハ鬼ハ人ヲ不レ可レ取(とるべからず。レは漢文のレ点。)ト云御示現也(御示現なり)ト云云」

 

中学受験をする子どもたちにとっての節分

クレープ笑顔

 中学受験の世界においては、昔から「2月に新年度が始まる。」と言われ、多くの塾が毎年2月に新年度開講をしてきました。つまり、中学受験の始まりは旧暦の新年の始まりと時期が重なっていると言うことですね。

 そんな中学受験の世界に身を置く子どもたち。節分の日はどのように過ごせばよいでしょうか?大切なことを3つお伝えしたいと思います。

まずは健康一番。

 受験生にとって最も大事なことの1つは、どこまで行っても「健康」です。体が元気で精神も健やか。元気で健やかだからこそ、勉強もできるし色々頑張れる。

 豆まきをして恵方巻を食べて、元気いっぱい節分の日を過ごしましょう。

大晦日には、1年の振り返りを。

 明日は、新しい年・新しい年度の始まりです。新しい年をとびきり素晴らしい1年にするためにも、今日は今年1年についてゆっくりじっくり振り返るとよいですね。

 学習面・健康面・心理面。あたま・からだ・こころ。

 それぞれにつき、少し時間をかけて振り返ってみましょう。こんなことがあったな。こんな風に感じたな。

 頭で考えるのもよいけれど、体感覚や感情から出てくることにも意識を向けてみると、また違った形での振り返りができることでしょう。

 学校や勉強のことだけでなく、家庭・友人・趣味や遊びなどについても振り返るとなおよいですね。

いい夢を見るために…

 今日寝て見る夢。1年の始まりに見る夢。

 素敵な夢を見たいものですね。ぐっすり眠りいい夢を見るためにできる、特別なこと。

 それはずばり、「自分へのごほうび」です。

 とびきり美味しいスイーツを食べたり、極上の音楽を聴いてみたり。

 最高の映画を観たり、楽しくすぎるダンスを踊ってみたり。

 人それぞれ、ごほうびはきっと違うことでしょう。

 その中でもとびきりのごほうびは、「お互いへの感謝と思いやり」ではないでしょうか?家族みんながそれぞれへの「ありがとう」を伝え合い、喜びの気持ちを表現し合う。

 寝る前には、「自分自身からの自分自身へのごほうび」を忘れずに。

 今日も1日ありがとう。

赤ちゃんおやすみ

 

 

 

 

 

「奇跡がキミを待っている。」~ 受験生に贈る本気のメッセージ①

はじめに

あなたがこの文章を入試まで余裕がある時期に見ているとしたら、あなたはラッキーだ。

なぜなら、今からお伝えすることを理解したなら、あなたは入試直前の受験生の気持ちをいち早く体験することができるからだ。

あなたがこの文章を入試直前に見ているとしたら、あなたはとてもラッキーだ。

なぜなら、今からお伝えすることを理解したなら、あなたは入試で自分自身の実力を最大限に発揮することができるはずだからだ。

あなたがこの文章を入試当日に見ているとしたら、あなたは最高にラッキーだ。

なぜなら、今からお伝えすることを理解したなら、あなたは入試本番で…

受験をする真の目的とは?

受験会場

人はなぜ、受験をするのだろうか?

自分の力を試すため?

あるだろう。

夢を実現するため?

それもあるだろう。

かけがえのない仲間に出会うため?

それもあるかもしれない。

人はなぜ、受験をするのか?

私はそれに対して、こう答えたい。

「奇跡を経験するため。」

それはそう、突然やって来る。

奇跡

あなたは、奇跡を経験したことがあるだろうか?

1度でも経験したことがあるはずなら、分かるはずだ。

そう、奇跡は突然やって来る。

何の前触れもなく、突然やって来るんだ。

本当に本当に、突然やって来る。

突然やって来るし、その時々によってその姿は違うから、

もうホントに訳が分からない。

でも、経験した人なら、分かるはずだ。

「これは、これは、間違いなく、奇跡だ!」って。

そして、少し経って、キミは微笑みながら、こう思うだろう。

「生きていて…本当に良かった…。」

自分自身が、微笑んでいることにすら気付かないはずだ。

微笑みながら、同時に涙を流していることにも、気付かないはずだ。

しかし、奇跡を体験したとき、キミは微笑む。

奇跡を体験したとき、キミは涙を流す。

そんな奇跡は、ある日突然、やって来る。

例えば、受験当日に。

受験当日に聴いた、自分自身の声。

入試本番

私の場合は、まさにそうだった。

今からお伝えすることは、完全に実話だ。

私の生徒には、

縁あって受験生を指導させていただくことになったときには、

お伝えするようにしているお話だ。

人それぞれ、受験に対する本気度は違うものだが、

この話をすると、どんな本気度の生徒も、目を輝かせる。

前のめりになって、話を聴く。

人それぞれ、本気になる時期は違うものだが、

この話をすると、どんな行動をしてきた生徒も、本気になる。

その本気が入試までずっと続く子もいれば、

一瞬で終わる子もいる(笑)。

それはもう、人それぞれだ。

キミの場合はどうだろう?

それはもう、キミ自身にかかっている。

試験終了1分前。

僕は会場にいた。

数学の試験。

答えを塗りつぶす形の、マーク式の試験だ。

答えが…分からない。

解き方も…分からない。

答えも解き方も分からないが、1つだけ分かっていることがあった。

「この1問が分からなければ、自分の受験は終わる。」

理由は分からないが、そのことだけはなぜか、強烈な実感として、分かっていた。

「この1問が分からなければ、自分の受験は終わる。」

自分にできることは、もうなかった。

色々とやってみたが、解けなかった。

残り1分。

1分で解ける問題ではない。

答えが分からない。

解き方も分からない。

解き方が分かったとしても、解く時間はない。

どうする?

どうすることもできない。

そのとき突然…

聴こえた。

かすかだったが、聴こえた。

「3分の2」

え?

一瞬思った。

なんだ今の。

でも、時間がない。

だから、マークした。

「3分の2」

マークしたけど、何が何だか、分からなかった。

でも、マークした。

マークするしかなかった。

そのまま考える間もなく、

試験は終了した。

「あれ、何だったんだ?」

試験が終わっても、分からないままだった。

ガッツポーズと、不思議な感覚。

ガッツポーズ

翌朝の新聞。

解答速報。

ドキドキしながら、僕は数学の答え合わせをしていた。

他の問題の答え合わせもし…

例の問題。

答えは、

「3分の2」

正解していた。

ウソだろ!?

ウソなんかじゃない。

「よっしゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

と、心の中でガッツポーズした。

かみしめるような、ガッツポーズ。

奇跡。

あり得るはずのない、奇跡。

自分の力ではない。

いや、自分の力か。

だって、聴こえたのは、自分の声だもんな。

でも、解いたわけじゃない。

でも、正解した。

解いてないのに、正解した。

何だ、これ?

こんなこと、あるんだ。

なんだかとてつもなく不思議で、

とてつもなく強力な味方が自分についてくれたような、

そんな感じ。

入試本番ですべき、たった1つのこと。

決める

そのときは、ただただそんな感じ、だけだった。

しかし、その後も僕は、経験することになる。

説明しようのない、不思議な経験。

奇跡。

今なら分かる。

当時の自分がどのようにして、

奇跡を経験したのかが。

どのようにして、

正解できるはずのない1問で、

奇跡的に正解することを、経験できたのかが。

決めること。

目の前の1問に正解する。

決めること。

時間がなくても、正解する。

決めること。

分からなくても、正解する。

「えっ!?じゃあ、カンニングしろってこと!?」

んなわけあるかーい!

カンニングはだめ。

そういうせこいことは、だめだよ。

分かってると思うけど、一応確認しとく。

カンニングは、だめ。

カンニングしたって、何もいいことなんてないんだから。

自分自身の力を、奪う行為なんだから。

だから、カンニングなど、せこいことは、だめだ。

カンニングせずに、正解する。

カンニングなんかしなくたって、正解できる。

決めること。

たったこれだけだ。

何が何でも、決める。

どんなことがあっても、決める。

どんな状況でも、決める。

結果を、決める。

そうすれば、決まる。

結果が、決まる。

忘れずに持って…いってらっしゃい。

持ち物

「決めても無理な場合は、どうすればいいんですか?」

そういうのは、「決める」とは言わない。

本当に、本当に、本当に「決める」ことができたなら、

体験できる。

かもしれない。

「えっ!?」

当たり前じゃないか。

奇跡なんて、期待したって体験できないんだよ。

期待しているうちは、体験できないんだよ。

期待を手放して、

一切の期待を手放して、

心のどこかに、そっと、そっと、

「希望」を抱くのがいい。

そう、ゆるやかな、優しい、ほのかな「希望」。

ゴリゴリの、圧が強い「期待」ではなくって、

ふんわりと、ゆったりした、やわらかい、

「希望」。

一瞬ではなく、いつもいつも持っていたらいい。

入試当日の持ち物は何ですか?

と問われたら、

思い出してほしい。

「希望」。

優しい、優しい、希望。

思わずにっこりと微笑んでしまうような、

素敵な、希望。

いってらっしゃい。

優しく語りかけてくれるような、

ほのかな、希望。

希望は現実を、作ってくれる。

キミ自身の人生という、現実を。

いってらっしゃい。

奇跡がキミを、待っている。

2022年1月11日 教育家 石田栄嗣

https://hidechanman.com/kateikyoushi/lastspurt/

明けましておめでとうございます。

 2022年。いよいよ始まりました。とってもワクワクする、新しい年の始まりです。

 今年はどんな年になるでしょうか?また、どんな年にしていきたいですか?

 私は、「より自分らしく、より楽しく、より自然に。」を、テーマに掲げたいと思います。

 2020年の後半から2021年からの流れとして、「個人の発信」そして「オンライン化」が大きく進みました。

 今や多くの人が日々発信し、多くの情報・多くの価値が生み出されています。

 もう、どれを見ようか、どれを読もうか、どれを聞こうか、日々迷ってしまう状態ですね。

 その中で、2022年特に大切になってくることの1つは、同じ内容について「誰から聞きたいか。」「誰のものを見たいか。」ということです。

 「熱い内容は、やはりこの人が出演している番組で。」

 「冷静な分析ならあの人のチャンネルだな。」

 「ノリノリになりたいときはこの人の曲だけど…

 しっとりしたいなら、あの人の曲に限る。」

 などなど。

 「何」も大切ですが、「誰から」ということがより一層大切だと感じられる1年になってゆくと思います。

 そして、「この人から」「あの人から」と思うことというのは、やはりその人の人となり・人間性・その人の生きざまと直結している部分だからこそ、ではないでしょうか。

 料理で言えば、同じ鶏肉でも、この人が調理するとこの人らしい味付け、あの人が調理するとやっぱりあの人の味付けだな、というように、その人の人間性を感じさせる、その人の人間性がにじみ出てくるような何か。

 そんなものを感じたとき、人はふと「ああ、やっぱりこの人からだよなあ。この人だからなんだよなあ。」と感慨深く納得するのではないでしょうか。

 作られたキャラとは別の、その人の本質を表すかけがえのない何か。その何かを体現している発信。人はきっと、そんなものを求めているのだと思います。

 これは、教育の現場にもあてはまることです。教師が上記のことを心掛けてゆくことはもちろんのこと、生徒たち自身が、自分らしく自分の言葉で語り表現し体験・体現してゆくお手伝いをするということ。このことが、今年からの流れとして大切になってゆくと感じています。

 ですから2022年。

 私はまず、自分自身がより自分らしく、より楽しく、より自然に発信してゆくということ。自分も言いたいし、相手も私から聞きたいと思っている。そんなことを中心に発信・表現してゆきます。

 その上で、算数・国語といった科目指導、中学受験などの受験指導、お父様・お母様向けのお話・プログラムなど、ありとあらゆる場面において、「その人自身が、その人らしく、自然な形で自分を表現してゆくサポート」をしてゆくつもりです。

 そのことが、自分のみならず、自分の家族・友人・生徒を始め、自分の書いたもの・作ったもの・教えた内容を受け取ってくださる全ての人1人1人の、幸せにつながってゆくものと信じております。

 本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 教育家 石田栄嗣

 

 

2021年、今年もありがとうございました。

 2021年。あなたはどのように過ごされましたか?

 私にとって、今年はまさに大きな変化の年となりました。

 対面での教育に携わってきて、26年。

 昨年に始まった世界における大きなうねりの中で、自分自身の教育の舵を、新時代に向けた新たな方向性へと切ることを決断し、実行していった1年でした。

 思い通りになることも、ならないことも。 

 進むことも、停滞することも。

 予想通りのことも、予想外のことも。

 様々な体験を子どもたちや保護者の皆さんたち、家族や仲間たちと一緒に積み重ねながら、新たな教育の方向性をともに作り上げてまいりました。

 彼らとともに過ごし体験してきた軌跡は、私にとってかけがえのないものです。本当にありがとうございます。

 この時代。この人生。自分にできること、自分がしたいこと、自分が成し遂げたいことを、みんなができる世界。そんな世界になることを願い、来年はより一層大きな変化を起こしてゆきます。

 個人指導と、集団指導。

 リアルでの体験と、オンラインでの体験。

 日本における学習と、世界における学習。

 それら全てをいかにして有機的に結び付け、いかにして効果的に展開してゆけるか。来年早々に新たなプロジェクトを発表いたします。楽しみにお待ちください。

 来年もどうぞ宜しくお願い致します。

 教育家 石田栄嗣