単純化して考える

例えば、接続詞の問題が苦手な子の場合、原因は様々ですが、その1つとして、
「接続詞の前後の関係がよく分かっていないこと」が挙げられます。
そんなとき、「本文の内容、ことば、概念」を単純化して考えると、
接続詞前後の論理的関係がグッと分かりやすくなります。
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お母さん:「うちの子に、読解力をつけて下さい!」
このような相談を受けることは、結構あるのですが、それに対して、まず僕はこう答えることにしています。
私: 「ではまず、国語に触れる機会、文章を読む時間を増やして下さい。」
そうすると大抵の場合、少しがっかりしたような顔をなさって、
お母さん:「やっぱりそれしかないですよね…」
私:「いえいえ。それしかないわけではないです。国語力をUPさせたいのなら、最低限、文章に触れる機会を増やすぐらいのことはやって下さい、ということです。」
お母さん:「なるほど。でも、算数もやらないといけないし、社会もやらないとならないし、理科もちょっと不安…」
国語を本当に伸ばしたいのかどうか、もう、よく分からなくなってきます(笑)。
いや、「読解力をつけたい。」という気持ちに嘘偽りはないのでしょうけれど、
算数も社会も理科も、と考えると、伸びるのかどうかはっきり分からない(ちゃんとした方法を取れば本当は伸びるんですけどね。)国語に時間を費やすことには二の足を踏んでしまう…
そんな場合はどうすればよいのでしょうか?
もう、国語はあきらめるしかないのでしょうか?
私:「そうですね。国語に時間をかけるというのはなかなかできないことですよね。そういう場合には、国語の勉強時間を増やすのではなく、日常生活で国語の勉強、読解のトレーニングをするようにすればよいです。」
お母さん(目を輝かせて(笑)): 「えっ!?そんな方法、あるんですか?」
私: 「はい。それは、日常生活で聞き上手になるようトレーニングしてゆくことです。
読解問題というのは、特に論説系の場合、知らない人が書いた小難しい、どこに向かうのか分からない文章をじっと読み進めてゆく力が問われるわけです。
そこで問われる能力というのは、目の前の人がどの方向に進むのか分からない話をするのをじっとひたすら聴き続ける能力、すなわち「聞き上手」の能力と大いにつながる能力です。
じっと聞くことに加えて、
「学校の授業が終わったとき、そのときの授業内容を3つぐらいのポイントにまとめるトレーニングをしておくと、さらにいいです。『授業のポイント解説委員』っていうのが新しくできて、それをやってる、みたいななり切りゲームをすると楽しいはずです。」
お母さん: 「それ、いいですね。授業の内容だけじゃなくって、今日学校であったことを私にポイント説明させる、でもいいですか?」
私: 「もちろん、いいですよ。⚪︎⚪︎くん、恥ずかしがるでしょうけど(笑)。」
お母さん: (横目でチラッと⚪︎⚪︎くんを見ながら)「お母さん、今日は先生からいいこと聴いちゃった。楽しみにしてるからね。学校であったこと話してくれるの。
聞き上手は、読み上手。
読み上手は書き上手で話し上手でもありますし、
相手の話を全身全霊で聴いてくれる、コミュニケーション上手、ほめ上手にもつながってゆきますね。
ですから、まずは聞き上手に。
そうすれば、本物の読解力をつけてゆく扉を1つ、開いたことになります。
参考にしてみて下さい。
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どの学年についても言えることですが、勉強すべきことは、大きく2つに分けることができます。
すなわち、
① 主に、「理解し考える」ことが重要な項目
②主に、「記憶する」ことが重要な項目
このうち、今日は②の項目につき、書いてゆきたいと思います。
例えば、理科の場合。
「理科・社会は暗記科目だから、覚えるしかない。覚えたら終わり。」
と昔から言われていますが、
実際には、いわゆる「暗記分野」(ホントは、「暗記分野」ではなく、「理解した上での記憶分野」ですが…)と「計算分野」に分かれ、計算分野で苦しむ子どもたちは、結構多いです。
逆に、算数などが得意で、理科の「計算分野」、てこや電流・水溶液などは得意なのに、
「暗記分野」に関しては、なかなか覚えられない、あるいは覚えようとしない、という子も結構います。
どちらかといえば、男の子に多いですね。
今日、問題にしたいのは、2番目のタイプです。
こういう子は、多くの子が苦手意識を持ちやすい「算数」が得意で自信を持っているので、勉強全体についても、割と自信を持っています。
それ自体はとても良いことです。
ところが、その「自信」が「うぬぼれ」、「面倒臭がり」につながってゆくと、
いわゆる「暗記科目」「暗記分野」がさっぱり、ということになってしまいます。
さて、こういった子の場合、どういう勉強の仕方を指示すれば、確実に記憶できるようになるのでしょうか?
それは、次のステップで勉強してゆくことです。
⬇︎
ステップ1: まず、時間を計りながら、「要点のまとめ」を記憶する。
ステップ2: その「要点のまとめ」についてのチェック問題、例題をやる。
ステップ3: 答え合わせをする。このとき、⚪︎×のみ付けるようにする。「正答を写す」ことはしない。
ステップ4: 間違えた問題につき、「要点のまとめ」を参照しながら考え、間違い直しをする。そのとき、間違えた項目については、「要点のまとめ」の該当部分に印をつけるようにする。
ステップ5: どうしても分からない問題についてのみ、解答解説を見て正答を書く。そして、「要点のまとめ」にも書き足しておく。
ステップ6: 以上のステップを、練習問題・演習問題などでも同様に行う。
⬇︎
これらのステップのうち、特に大切なのは、「ステップ3」です。
「間違えたら、×をつけてパッと解答を写せばいいや。」
という「ラクな勉強」をしていたのでは、いつまでたっても覚えられない、ということになってしまいます。
これが、
「間違えた場合、いちいち『要点のまとめ』に戻って見直して考えないといけない。」
となっていたら、
「そんな面倒臭いことはイヤだから、最初にしっかり覚えておこう。」
ということになり、記憶の質が変わってきます。
もう、真剣そのもの。
こんな風に進めてゆけば、しっかり記憶がなされていきますね。
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勉強方法についてなど、教育相談はこちらからお問い合わせください。
受験生が自分の志望校について考える場合、様々な要素が出てきます。
例えば、
・家から通える範囲なのかどうか
・女子校、男子校、あるいは共学校
・大学進学実績はどんな感じか
・クラブ活動
・先生方の教育方針
このときに、「大体こんな感じの学校がいい。」という、いわゆる「校風」についても考えることでしょう。
その際、結構多いのが、
「自由な校風の学校に行きたい。」
という希望です。
これは、要注意です(笑)。
どうしてでしょうか?
そもそも、なぜ自由な校風の学校に行くことを望むのか、を考えてみます。
「ガチガチに規制されるのではなく、のびのび自由な方が合っているから。そういう環境の方が力を発揮できるタイプだから。」
では、どうして、「自由な方が力を発揮できる」と判断できるのでしょうか?
「あれこれ言われると力を発揮できない、ということが今までにあったから。」
ところが、ここでさらに疑問が湧いてきます。
「なぜ、親や教師からあれこれ言われることとなったのか?」
ここで、ある事実が見えてきます。
それは、
「その子は、自分1人で放っとかれると、親や教師、周囲の大人が心配してしまうような事態になる。」
ということです。
もちろん、本当は、その子にはその子のペースがあって、その子なりに自分でペース配分を考えているのに、周囲の大人たちが待ちきれずに、
「ちょっと待った!」
と必要以上に心配し、必要以上に干渉している、ということも少なくありません。
そういう場合は、その子が感じ、思っていることをまずしっかり聴き受け止めてあげた上で、どうするのが最善なのかをみんなで模索してゆくことが大切です。
しかし一方で、
「入試には、期限がある。そして、その期限は、必ず訪れる。」
ということも、紛れもない事実です。
だからこそ、
「その子のペースを大切しつつ、期限までに結果を出す。」
という、相矛盾する2つのことを同時に考えるバランス感覚が大事になってくるのです。
しかも、
「自由な校風の学校の多くは、難関校あるいは最難関校。」
ということも、頭に入れておく必要があります。
もちろん、難関校や最難関校以外にも、自由な校風の学校はたくさんあります。
大学の附属校、併設校などはそうですし、それ以外にも、自由な校風の学校はいくらでも見つかるでしょう。
しかし、
制服がなく私服で登校できたり、
そもそも「校則」すらなかったり、
三者面談などのときにも「勉強しなさい。」と先生から言われることなどなかったり、
どんなに点数が悪くても補習に呼ばれることがなかったり、
とにかく、
先生たちは生徒たちを完全に信頼していて、生徒たちの自由にさせ、ほとんど干渉することなく、黙って見守ってくれている。
このように「徹底した自由な校風」ということになると、かなり絞られてきて、やはりそれらの多くは「難関校あるいは最難関校」ということになってきます。
どうしてでしょうか?
それは、
そもそも「自由な校風」というものは、
「生徒たちの自由」にさせていたとしても、生徒自らが自立した意識を持ち、自らの夢・目標、自らがやるべきこと、なすべきことを自覚している。
場合にのみ成立するものだからです。
いくら生徒たちが「自由にさせてほしい。」と思ったとしても、
いくら親や教師が「自由にさせてあげたい。」と思ったとしても、
生徒たち自身が自らを律することのできない場合は、「大丈夫か?」ということになり(笑)、結局は、「やっぱりもっと管理・規制しないとダメだ。」という方向に向かうことになるのです。
これは、大学進学実績をもっと伸ばそうとしているのに、なかなか伸ばし切れずにいる学校が抱える悩みです。
生徒の自由にさせたいけど、自由にさせすぎると、ドえらいことになるし(笑)…
かと言って、ガチガチに管理して勉強一辺倒になってしまっては、「その学校らしさ、その学校ならではの魅力」がなかなか見えてこないし、
でもやはり、緩ませすぎると、生徒たちが目標意識を失って遊び呆け、「何のためにわざわざ中学受験をしてまで私立や国立の学校に入ったのか分からない。」という事態になってしまう…
こういった意味でも、
「自由な校風の学校」というのは、絶妙なバランス感覚の上にこそ成り立ちうる、「奇跡の学校」とも呼べるのではないでしょうか。
ですから、「文字通り完全に自由な校風」が成り立つ学校というのは、「自由な校風だとしても自らを律することができる子どもたち」が集まる学校、多くの場合は、最難関あるいは難関レベルの学校、ということになります。
(ちなみに、私は、いつまでもこのような状態では困ると思っています。
なぜなら、勉強だけが人生ではないからです。
何をもって成功・幸せと見るかは、それぞれの子どもの個性に応じて判断すべきであり、偏差値などの成績や大学の合格実績といった尺度は1つの判断基準・1つの価値基準にすぎないのではないでしょうか。)
さて、ここで、最初の話に戻ってみましょう。
「自由な校風」を望む子どもたちというのは、大きく2つのタイプに分けることができます。
すなわち、
① 今まで厳しい環境、状況を耐え抜いてそれなりの結果を上げてきたので、自分自身をある程度律することができる子ども
② 生粋の「自由人」(笑)。
1番目のタイプの場合、放っておいても大丈夫です。ちゃんと自分自身で計画を立て、合格に向かって着実に進んでゆけますから。
問題は、2番目のタイプです。
この2番目のタイプの場合、
普通にしていたのでは、自由な校風の難関校・最難関校を突破できることはできません。
なんせ、自由人ですから(笑)。
ちなみに、私は、基本的にこの2番目のタイプなので、こういう子の気持ちはよく分かります。
さて、この2番目のタイプの子、自由人タイプの子どもが、自由な校風の難関校・最難関校に合格するためには、どうすればよいのでしょうか?
それは、まず、自らを見直し、
「難関、最難関レベルを目指すだけの覚悟」が本当にあるのか。
と自分自身に問うことです。
「自由な校風の学校に行きたいとは思うが、そのために今やらなければならないことをやるのは嫌だ。」
というのでは、志望校に合格し、夢を実現してゆくことなど、到底無理、というものです。
やるべきことをしっかりやるからこそ、難関校・最難関校への切符を手にできるのであり、まあ、いわゆる「自由な校風」=「パラダイス」が待っているわけです(笑)。
パラダイス、楽園に行きたいのであれば、そのために、やるべきことがあります。
そして、そのやるべきことは、簡単なことでありません。簡単なはずがないのです。
到達するまでには、相当大変な努力が必要だ。
最悪の場合、
「パラダイスを求めて頑張ったけど、結局無理だった。」
ということにもなりかねない。
それでも、この学校を目指すのか?
あきらめずに最後まで走り抜けられるのか?
そのあたりをいま一度自問自答した上で、
「それでもやっぱり、自分は⚪︎⚪︎中学校に行きたい。」
と言えるのなら、その覚悟は本物です。
「本気の覚悟」を引っ提げて、お母さんやお父さん・先生たちがビックリするぐらいの成長を見せ、
見事、志望校に合格できることでしょう。
そして、合格後は、「生粋の自由人」ぶりを大いに発揮しながら(笑)、
「人生、長いんやから、のんびり行こうや。」と、
自分の夢を自分のペースで、1つ1つ叶えてゆくことでしょう。
そのためにも、
まずは、徹底的に、問うてみる。
自分自身に対して。
本当の気持ちを。
自分は、本気なのか?
覚悟は、できているのか?
最後まで、走り抜けられるのか?
と。
参考になれば、幸いです。
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志望校の選択の仕方、計画の立て方についてなど、教育相談はこちらからお問い合わせください。
算数嫌いでちっとも宿題をやらなかった子を、算数好きで宿題好きの子に変えてしまった、ある接し方。
つい最近家庭教師を始めることとなったある女の子(Bちゃんとします。)がいます。
Bちゃんは、勉強をしているときにすぐ眠たくなり、集中力が切れてしまうということが続いていました。
いわゆる「集中力がない子」「集中が途切れる子」は、精神的に幼さが残る子が多いのですが、彼女の場合もそうでした。
幼さが残る、ということは、「純粋で素直でまっすぐ。」という良い面でもあり、「集中力がなく、粘り強さに欠け、ここ一番の踏ん張りがきかない。」という悪い面でもあります。
そして、幼いように見える子は、とても正直であるがゆえに、
「疲れた。」
と思ったら、それをすぐに出します。態度とか、発言の形で。
そうすると、多くの場合、お母さんやお父さん、先生たちに、
「何言ってるの!?まだ30分も勉強してないじゃないの!
もー、ホントに集中力がない子ね。」
と言われることとなります。
そこで、
「イヤだなあ。疲れたなあ。」
と思いながらもしぶしぶ机に向かおうとしますが、やっぱり続かない。
ところがそれを態度に出すと…
やっぱりこっぴどく怒られ(笑)、
またしぶしぶ机に向かって勉強したら、
もう、つらすぎて、しんどすぎて、
泣いたり怒ったりしながら、
「もう、いやだ!勉強なんかやりたくない!」
というように、最後には、完全にすべてを放り出してしまう(笑)。
「もー!そんなことやったら困るでしょ!なんであんたはいっつもこうなの!」
こんな風に、にっちもさっちもいかなくなる。
さて、こういう子の場合、どのように接すれば、集中できるようになってゆくのでしょうか?
ここで、よくよく考えてみます。
そうすると、
「なるほど。この子の言う通りだな。」
ということに気づきます。
Bちゃんにとって、自分の集中力の限界が30分なら、それは29分でもなければ31分でもなく、もちろん3時間なんかでは決してなく、
やっぱり、
「30分」
なんですよ。
30分経ったら、さっきまでフツーに動いてたのが急に電池切れになって固まってしまったかのように(笑)、
ピタッと止まってしまう。
そこから無理やり頑張らせたとしても、すぐに集中力が途切れるので学習効率も悪い。
しかも、そういうことを継続してゆくと、ある日突然、
「プチん。」
と糸が切れてしまい、回復するまでにだいぶ時間がかかることとなります。
そうであるなら、
「30分なんて短すぎる。もっと頑張れるはずだ。せめて45分。いや、60分!」
と半ば強制的に頑張らせるより、
「おー。30分、よく集中して勉強できたな。素晴らしい。ちょっと休憩しよっか。」
と、ブレイクを挟んであげる。
で、ブレイク中には、もうさっきまで勉強して疲れてるわけですから(笑)、
きゃっきゃ言いながらお話したり、
女の子なら、「折り紙しよう。」とか「お絵描きしよう。」とか、言ってきたり、
男の子なら、「先生、ラジコンやろう。」とか「バスケゲームしよう。」とか言ってきたりします。
あるいは、男女問わず、活発な子の場合、「先生、逆立ちするから見てて。」とか、「一緒に側転しよう♪」
とか言ってきたりします。
そんなときには、こちらも一緒になって遊んであげるのがよいです。
このときに、大切なことが3つあります。
①「5分だけね。5分経ったらお勉強しよう。」と必ず約束すること。
「えー!?でも、5分じゃすまないでしょ。」
もちろん、そういう場合もあります。むしろ、初めのうちはそういうことの方が多いかもしれません。
でも、最初に「5分経ったらお勉強する。」という約束をしておけば、その約束は、その子の意識の中にちゃんと残っており、
5分以上経ったのに遊んでいるのでこちらが遊びに参加せずただ見守るだけにしていると、
「先生、そろそろ勉強する?」
と自分から言い出します。
② 思いっきり、それこそ完全に「集中して」(笑)、遊んであげる。
これも、とっても大切なことです。
子どもたちは、とっても敏感で鋭く、観察力があるので、
大人が本気で遊ばず、そこに「手抜き」があると、すぐに見抜きます。
そして、
「この人は、本気で遊んでくれない。つまんない。」
となったら、途端に心を閉ざし、こちらへの信用をなくします。
そうすると、「こちらが何か言ってもきいてくれない」ようになり、言うことをきかすために押し付けがましく言って…ますます心を閉ざす、という悪循環に陥ります。
ですから、遊ぶときは、思いっきり遊ぶ♪☆
そしたら、いつの間にか、ホントに楽しんでしまって、子ども以上に大人が楽しくなってしまい、
気づいたら、「どちらが遊んでもらっているのか分からない。」ようなことになるかもしれません(笑)。
ここまで来れば、子どもは大喜びで、少ない休憩時間でも十分にリフレッシュできるようになってきます。
③ その子を「遊びが大好きで無邪気な子ども」ととらえると同時に、「1人のしっかり独立した人間」としてとらえる。
どんなに子どもと遊び、仲良くなったとしても、「単なる親戚のお兄ちゃん」みたいになってしまえば、意味がありません。
「遊びは遊び、勉強は勉強。」
という割り切りをしっかりさせることが大切です。
ここで、多くの大人が間違いをおかします。
それは、
「勉強の時間になると、急に上からモノを言うモードに切り替わってしまう。」
ということです。
これは、もったいないです。
せっかくさっきまで一緒に思いっきり遊んで、自然でフラットな関係を作ったのに、
ここで「無理やり感満載」になってしまえば、それこそ振り出しに戻ってしまいます。
「いや、でも、勉強のときはメリハリをつけてしっかり集中させるためにも、ある程度厳しく言うことは大切なのでは?」
もちろん、そうです。
しかし、特に小学3年、4年ぐらいの場合、幼い子はまだまだ幼いですし、幼い子は敏感でもあるので、少しでも「プレッシャー」を感じると、それがストレスになり、みるみるうちに顔が曇り出すのです。
では、どうすればよいか?
それは、その子の「しっかりした面、大人の面」を引き出すようにしてあげればよいのです。
そうすれば、その子は見違えるように、「ピッ!」となります。
Bちゃんの場合にも、
「宿題ちゃんとやってるね。エラいね。1回でいい、って言ってたのに、2回3回練習したって、スゴいなあ。どうして2回、3回やろうと思ったの?」
「ちゃんと勉強しとかないと、身につかなくなると思ったから。」
という形で、どんどん「しっかりした自分」を引き出してあげました。
そうすると、
「先生と一緒に遊ぶのも楽しいし、勉強するのも楽しい。」
となってきて、
2時間の指導時間なのに、1時間半経過したあたりで、
「えー!?先生、今日2時間しかやらないの!?そんなのやだ。もう1時間やりたい。」
と言ってくれるほどになりました。
嫌いだった算数も、数回授業しただけで、
「もともと、国語は好きで算数は嫌いだったんだけど、なんか、算数も好きになってきた。だから、算数の宿題もルンルン楽しくできるようになってきたよ。」
「それはスゴいね!本当によかったね!」
子どもと一緒に楽しみ、子どもへの信頼を大切にすれば、その子は心をオープンにし、本来の自分・本来の力をどんどん出してくれるようになるのです。
やはり、子どもたちは、偉大ですね!
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