中学受験と節分

節分の意味と豆まきの由来

 本日は節分ですね。旧暦においては、季節の変わり目である立春の前日であり、1年の終わりすなわち大晦日。新暦に馴染んだ現代の生活においてはあまりピンと来ないかもしれませんが、旧暦の七十二候においては、明日から季節は春となるばかりでなく、明日新しい1年が始まることとなります。

 邪気を払って無病息災を願う豆まき。季節の変わり目に出てくる悪鬼・邪鬼を退治する、つまり魔を滅する「魔滅(まめつ)」の音に通ずることが由来だと言われています。豆によって鬼を退治することについて室町時代中期に編纂された壒嚢鈔(あいのうしょう)には、次のように記されています。

豆まき

 壒嚢鈔 巻第一 八十三

 「…節分ノ夜大豆ヲ打事ハ宇多ノ天皇ヨリ始レリ鞍馬ノ奧僧正カ谷美曾路池(ミゾロイケ)ノ端(ハタ)ノ方丈ノ穴ニ住ケル藍婆惣(ヲンバソウ)主ト云二頭ノ鬼神共ニ出テ都へ亂レ入ントシケルヲ毘沙門(ビシャモン)ノ御示現ニ依テ…三斛(ゴク)三斗ノ大豆ヲ熬テ鬼ノ目ヲ打ハ…然ラハ鬼ハ人ヲ不レ可レ取(とるべからず。レは漢文のレ点。)ト云御示現也(御示現なり)ト云云」

 

中学受験をする子どもたちにとっての節分

クレープ笑顔

 中学受験の世界においては、昔から「2月に新年度が始まる。」と言われ、多くの塾が毎年2月に新年度開講をしてきました。つまり、中学受験の始まりは旧暦の新年の始まりと時期が重なっていると言うことですね。

 そんな中学受験の世界に身を置く子どもたち。節分の日はどのように過ごせばよいでしょうか?大切なことを3つお伝えしたいと思います。

まずは健康一番。

 受験生にとって最も大事なことの1つは、どこまで行っても「健康」です。体が元気で精神も健やか。元気で健やかだからこそ、勉強もできるし色々頑張れる。

 豆まきをして恵方巻を食べて、元気いっぱい節分の日を過ごしましょう。

大晦日には、1年の振り返りを。

 明日は、新しい年・新しい年度の始まりです。新しい年をとびきり素晴らしい1年にするためにも、今日は今年1年についてゆっくりじっくり振り返るとよいですね。

 学習面・健康面・心理面。あたま・からだ・こころ。

 それぞれにつき、少し時間をかけて振り返ってみましょう。こんなことがあったな。こんな風に感じたな。

 頭で考えるのもよいけれど、体感覚や感情から出てくることにも意識を向けてみると、また違った形での振り返りができることでしょう。

 学校や勉強のことだけでなく、家庭・友人・趣味や遊びなどについても振り返るとなおよいですね。

いい夢を見るために…

 今日寝て見る夢。1年の始まりに見る夢。

 素敵な夢を見たいものですね。ぐっすり眠りいい夢を見るためにできる、特別なこと。

 それはずばり、「自分へのごほうび」です。

 とびきり美味しいスイーツを食べたり、極上の音楽を聴いてみたり。

 最高の映画を観たり、楽しくすぎるダンスを踊ってみたり。

 人それぞれ、ごほうびはきっと違うことでしょう。

 その中でもとびきりのごほうびは、「お互いへの感謝と思いやり」ではないでしょうか?家族みんながそれぞれへの「ありがとう」を伝え合い、喜びの気持ちを表現し合う。

 寝る前には、「自分自身からの自分自身へのごほうび」を忘れずに。

 今日も1日ありがとう。

赤ちゃんおやすみ

 

 

 

 

 

「奇跡がキミを待っている。」~ 受験生に贈る本気のメッセージ①

はじめに

あなたがこの文章を入試まで余裕がある時期に見ているとしたら、あなたはラッキーだ。

なぜなら、今からお伝えすることを理解したなら、あなたは入試直前の受験生の気持ちをいち早く体験することができるからだ。

あなたがこの文章を入試直前に見ているとしたら、あなたはとてもラッキーだ。

なぜなら、今からお伝えすることを理解したなら、あなたは入試で自分自身の実力を最大限に発揮することができるはずだからだ。

あなたがこの文章を入試当日に見ているとしたら、あなたは最高にラッキーだ。

なぜなら、今からお伝えすることを理解したなら、あなたは入試本番で…

受験をする真の目的とは?

受験会場

人はなぜ、受験をするのだろうか?

自分の力を試すため?

あるだろう。

夢を実現するため?

それもあるだろう。

かけがえのない仲間に出会うため?

それもあるかもしれない。

人はなぜ、受験をするのか?

私はそれに対して、こう答えたい。

「奇跡を経験するため。」

それはそう、突然やって来る。

奇跡

あなたは、奇跡を経験したことがあるだろうか?

1度でも経験したことがあるはずなら、分かるはずだ。

そう、奇跡は突然やって来る。

何の前触れもなく、突然やって来るんだ。

本当に本当に、突然やって来る。

突然やって来るし、その時々によってその姿は違うから、

もうホントに訳が分からない。

でも、経験した人なら、分かるはずだ。

「これは、これは、間違いなく、奇跡だ!」って。

そして、少し経って、キミは微笑みながら、こう思うだろう。

「生きていて…本当に良かった…。」

自分自身が、微笑んでいることにすら気付かないはずだ。

微笑みながら、同時に涙を流していることにも、気付かないはずだ。

しかし、奇跡を体験したとき、キミは微笑む。

奇跡を体験したとき、キミは涙を流す。

そんな奇跡は、ある日突然、やって来る。

例えば、受験当日に。

受験当日に聴いた、自分自身の声。

入試本番

私の場合は、まさにそうだった。

今からお伝えすることは、完全に実話だ。

私の生徒には、

縁あって受験生を指導させていただくことになったときには、

お伝えするようにしているお話だ。

人それぞれ、受験に対する本気度は違うものだが、

この話をすると、どんな本気度の生徒も、目を輝かせる。

前のめりになって、話を聴く。

人それぞれ、本気になる時期は違うものだが、

この話をすると、どんな行動をしてきた生徒も、本気になる。

その本気が入試までずっと続く子もいれば、

一瞬で終わる子もいる(笑)。

それはもう、人それぞれだ。

キミの場合はどうだろう?

それはもう、キミ自身にかかっている。

試験終了1分前。

僕は会場にいた。

数学の試験。

答えを塗りつぶす形の、マーク式の試験だ。

答えが…分からない。

解き方も…分からない。

答えも解き方も分からないが、1つだけ分かっていることがあった。

「この1問が分からなければ、自分の受験は終わる。」

理由は分からないが、そのことだけはなぜか、強烈な実感として、分かっていた。

「この1問が分からなければ、自分の受験は終わる。」

自分にできることは、もうなかった。

色々とやってみたが、解けなかった。

残り1分。

1分で解ける問題ではない。

答えが分からない。

解き方も分からない。

解き方が分かったとしても、解く時間はない。

どうする?

どうすることもできない。

そのとき突然…

聴こえた。

かすかだったが、聴こえた。

「3分の2」

え?

一瞬思った。

なんだ今の。

でも、時間がない。

だから、マークした。

「3分の2」

マークしたけど、何が何だか、分からなかった。

でも、マークした。

マークするしかなかった。

そのまま考える間もなく、

試験は終了した。

「あれ、何だったんだ?」

試験が終わっても、分からないままだった。

ガッツポーズと、不思議な感覚。

ガッツポーズ

翌朝の新聞。

解答速報。

ドキドキしながら、僕は数学の答え合わせをしていた。

他の問題の答え合わせもし…

例の問題。

答えは、

「3分の2」

正解していた。

ウソだろ!?

ウソなんかじゃない。

「よっしゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

と、心の中でガッツポーズした。

かみしめるような、ガッツポーズ。

奇跡。

あり得るはずのない、奇跡。

自分の力ではない。

いや、自分の力か。

だって、聴こえたのは、自分の声だもんな。

でも、解いたわけじゃない。

でも、正解した。

解いてないのに、正解した。

何だ、これ?

こんなこと、あるんだ。

なんだかとてつもなく不思議で、

とてつもなく強力な味方が自分についてくれたような、

そんな感じ。

入試本番ですべき、たった1つのこと。

決める

そのときは、ただただそんな感じ、だけだった。

しかし、その後も僕は、経験することになる。

説明しようのない、不思議な経験。

奇跡。

今なら分かる。

当時の自分がどのようにして、

奇跡を経験したのかが。

どのようにして、

正解できるはずのない1問で、

奇跡的に正解することを、経験できたのかが。

決めること。

目の前の1問に正解する。

決めること。

時間がなくても、正解する。

決めること。

分からなくても、正解する。

「えっ!?じゃあ、カンニングしろってこと!?」

んなわけあるかーい!

カンニングはだめ。

そういうせこいことは、だめだよ。

分かってると思うけど、一応確認しとく。

カンニングは、だめ。

カンニングしたって、何もいいことなんてないんだから。

自分自身の力を、奪う行為なんだから。

だから、カンニングなど、せこいことは、だめだ。

カンニングせずに、正解する。

カンニングなんかしなくたって、正解できる。

決めること。

たったこれだけだ。

何が何でも、決める。

どんなことがあっても、決める。

どんな状況でも、決める。

結果を、決める。

そうすれば、決まる。

結果が、決まる。

忘れずに持って…いってらっしゃい。

持ち物

「決めても無理な場合は、どうすればいいんですか?」

そういうのは、「決める」とは言わない。

本当に、本当に、本当に「決める」ことができたなら、

体験できる。

かもしれない。

「えっ!?」

当たり前じゃないか。

奇跡なんて、期待したって体験できないんだよ。

期待しているうちは、体験できないんだよ。

期待を手放して、

一切の期待を手放して、

心のどこかに、そっと、そっと、

「希望」を抱くのがいい。

そう、ゆるやかな、優しい、ほのかな「希望」。

ゴリゴリの、圧が強い「期待」ではなくって、

ふんわりと、ゆったりした、やわらかい、

「希望」。

一瞬ではなく、いつもいつも持っていたらいい。

入試当日の持ち物は何ですか?

と問われたら、

思い出してほしい。

「希望」。

優しい、優しい、希望。

思わずにっこりと微笑んでしまうような、

素敵な、希望。

いってらっしゃい。

優しく語りかけてくれるような、

ほのかな、希望。

希望は現実を、作ってくれる。

キミ自身の人生という、現実を。

いってらっしゃい。

奇跡がキミを、待っている。

2022年1月11日 教育家 石田栄嗣

https://hidechanman.com/kateikyoushi/lastspurt/

中学受験の難しさとは?

 

中学受験につき、分かっていない方があまりにも多いので、少し書いてゆきたいと思います。

「中学入試は、学力を伸ばしさえすれば合格できる。」と思っている方が結構いらっしゃいますが、それは不可能なことを目指していることになります。

どうしてか?

人間は、ロボットではありません。
感情もあれば思考もあるし、好不調もある。

大人もそうだし、ましてや子どもなら、なおさらです。

「勉強をやりなさい。」という親の言うことをずっと聞いていた子が、ある日突然、ムスッとした顔で(笑)、

「僕、勉強したくない。」と言い出したりする。

そこで親は、「え⁉︎どうしたの⁉︎勉強やるって言ったじゃない。言うことを聞きなさい。」

とゴリ押ししようとしたりする。

いやいや(笑)。

親の言うことを黙ってきいていた息子さん(娘さん)は、過去の人間です。

今、目の前にいるお子さんを見つめてみてください。

そうすれば、もう親の言うことを素直に聞くような時期は過ぎ去ってしまったことに気づくことでしょう。

そこで、親は焦り出します。

「どうしよう。入試は近づいてきたのに、これまでこんなに頑張ってきたのに、あの子は、もう勉強をやらないと言っている。どうしよう…」

大丈夫です。

実は、今息子さん(娘さん)は、合格に近づいているんです。

「いや、でも、勉強しないって言ってるから…」

だからこそ、です。

したくないことは、したくない。
それをハッキリと言えることは、自立への第一歩です。

「いや、でも、ちゃんと勉強して、ちゃんと親の言うことも聞いてくれないと…」

お母さん、あなたが不安になる。
そうおっしゃりたいのではないですか?

親の不安はどこまでも、くっついて来ます。
それは、成績が良い子でも、いや、成績が安定しているお子さんの親御さんほど、当てはまることです。

だから、まずはその不安を手放せるよう、ある事実を知ってください。

それは、
「受験前にちゃんと反抗期を迎えられたお子さんほど、ちゃんと中学入試で合格してゆける。」
という事実です。

親の言うことを聞いているだけではなく、自ら考えられる力。それこそが合格への原動力となります。

そこをすっ飛ばして、自ら考えることをせず、ただただ親の言うことだけを聞いて成績を伸ばすことしかして来なかった子は、入試直前に、大きな壁にぶち当たったりします。

何か正体不明の、どんよりした感じ。

それが合格を阻みます。最後の最後の踏ん張りがききません。自らの入試が持つ意味が、合格することの先が、見えてきません。

そしてそのまま、入試会場に向かうことになります。

そうではなくて、たとえ大変な思い・嫌な思い・辛い経験を、親子ともにいっぱいすることになったとしても、ちゃんと思いをぶつけ合う。お互いの感じていること・考えていることをちゃんと伝え合う。

そういうことをやって来たお子さんは、本番でものすごい力を発揮します。

大人が感動するぐらいの成長を見せてくれます。

そういう子は、指導しているとわかります。

「あぁ、変わったな。本気になったな。自立したな。もう大丈夫だな。」

そう思えた子は、間違いなく合格します。

だから、どうか「中学受験の難しさ。醍醐味」がどこにあるのか、ということをもう一度見つめ直してみてください。そうすれば、合格への道を一歩踏み出したことになります。

中学受験についてのセミナー

 

先日、神戸にて、中学受験についてのセミナーを行いました。

 

・最難関中学に合格するためには?

・国語という科目の特殊性

・算数と国語の連携術

・国語力を上げるために、親がすべきこと

・子どもとの接し方

・質疑応答

 

といった内容でした。

 

また詳細はブログにて少しずつアップしてゆきます。

 

セミナーは、今後も各地で開催してゆく予定です。

どうぞお楽しみに。

 

 

勉強方法・子どもさんへの接し方についてなど、教育相談はこちらからお問い合わせください。

結果を焦らない。

 

本日生徒のお母様にお伝えしたこと。

 

「結果を焦らない。」

 

特に入塾したての頃は、塾の授業についていけなかったりもします。

 

すると当然、復習テストでの結果も芳しくなかったりするわけですが、

 

そんなとき、焦りは禁物です。

 

算数などについては特に、基礎からしっかり理解することが何より大事であり、その部分をすっ飛ばして、点数だけを追い求めると、あとでかなり大変なことになってしまいます。

 

親や教師など、周りの大人が焦ってしまうと、子どもは、

 

「早く期待に応えたい。認めてもらいたい。」

 

と思うあまり、基礎の理解を疎かにして、解法の暗記にはしることとなります。

 

そういうやり方で算数を勉強してしまうと、応用力がなくなるため、ある一定レベル以上にはいけない、ということになってしまいます。

 

ですから、くれぐれも、結果を焦らないようにする。

 

このことがとても大切です。

 

 

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