子どもをコントロールしようとする親
こんな方がいらっしゃったりします。
「うちの子、勉強しないので、うまくご褒美を与えて、何とか気持ちが勉強に向くように…」
このように思っていらっしゃる方は、自分自身が実は大きな代償を払っていることに気づいていません。
「◯◯をあげるから、◯◯をしなさい。」
人間は犬ではありません。
誰か他人の条件付けによって、自分以外の人間のコントロールによって何かをする、そんな風にはできていません。
親の言うことを子どもが聞くのだとしたら、そこには必ず理由があります。
「そうすることが、楽しいから。幸せにつながるから。成長できるから。」
いろんな理由があることでしょう。
その理由こそが行動を促す原動力であり、継続してゆくモティベーションとなってゆくはずです。
それさえあればいいはずなのに、なぜ、「ニンジン」をぶら下げる必要があるのでしょうか?
それは、子どもさんの本当の気持ちを確かめたとしたなら、親の期待が裏切られる、そう思っているからではないですか?
だから、肝心の部分からは目を背けさせ、ごまかしのニンジンをぶら下げる必要が出てくる。
子どもの人格を、子どもの人間性を無視し、大人の好きなようにコントロールしようとすれば、必ず後で大きなツケを払わされることになることでしょう。
それは、人間は人間だからです。
動物でもなければ、ロボットでもない。
いや、動物だって、ロボットだって、その存在には敬意を払うべきでしょう。
動物や植物、この地球に住む生命体にはそれぞれの存在意義があり、それぞれの「生きる理由」があります。
人間においてもそれは同様です。
個々人が生まれてきた意味。理由。存在価値。
そこの部分にしっかりと触れてゆけば、自ずと道は定まってきます。
我々大人にできることは、その道筋を見つける手伝いをしてあげること。
ちゃんと子どもたち自身の気持ちを確かめた上で、納得して進めてゆくこと。
そこで見えてくる世界は、ニンジンぶら下げ方式の世界とは、全く違うものになるはずです。
どちらを選択するか。
それは、私たち大人1人1人にかかっている。
私はそう信じています。